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歴史

なぜ、「池袋」なのか。
@歴史的背景、A行政・民間を軸とした日本社会の支援、B来日中国人の自助努力

@歴史から見る
中国との深い関わり
宮崎家と孫文との交流。孫文を支援した宮崎滔天。1905年、中国同盟会を孫文らと結成。辛亥革命の成功へ。・孫文を支援し、中国同盟会を結成し、辛亥革命の立て役者・宮崎滔天は、池袋に住んでいた。自宅を中国の革命家・黄興に貸したことも。
A行政の支援
中国語の広報紙「ニイハオToshima」(1989年8月〜2005年3月)
1989年、豊島区に2つの広報誌が誕生した。行政(豊島区)発行であるが、『広報豊島』とは異なり、外国人向けに独自の内容を、外国人の手で発行したものだった。
創刊時から毎年、中国人編集スタッフを2名加えて発行した。在日中国人の編集スタッフを10人以上採用。段躍中・夏冰(東大博士課程)参加。

『HELLO TOSHIMA』(1989年8月〜2005年3月)…英語で発行。

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■外国人への 「ニイハオToshima」、『HELLO TOSHIMA』の貢献

さよなら「ニイハオToshima」編集協力員:陳 雪飛

 一年前、偶然図書館で豊島区「ニイハオToshima」の編集協力員募集広告を見つけました。日常生活では中国語を使うことが非常に少ない私にとって、これはとても新鮮で興味が持 てる仕事でした。同時に、私の中国語が役に立つという希望を抱いてこの仕事に応募しました。あっという間に一年の任期が終わろうとしています。ここにやむなく紙面をお借りして皆様へ「See you again」を告げると同時に、皆様の「ニイハオToshima」に対する支持と協力に心から感謝致します。一年にわたる編集活動を通じ、豊島区に対し少しばかりですが新しい認識を得ることができました。

  交通の便が良い、これが豊島区の特色の一つです。私も同じ理由で豊島区に引っ越してきました。しかし豊島区に居住す る 外 国 人 に と っ て は 、 1 9 8 9 年 に 創 刊 さ れ た 「 ニ イ ハ オToshima」が最大の特色であると思います。私たちのまわりにはすぐ手に入る外国語の刊行物が沢山あります。でも、私たちの実際の生活に直接影響があるものは僅かです。例えば、健康診断・保育園・日本語教室等の情報は、一般の刊行物からは得ることはできません。情報化時代と言われる現在において、私たちはさまざまな手段で必要な情報を得ることができます。日本に来たばかりの、日本の生活や言葉を良く知らない外国人にとって、自分で読め、しかも日常生活の手助けとなる刊行物が身近にあることが、大きな不安を解消してくれるのです。外国人編集協力者がいろいろな取材を通して書いた記事は、緊張した生活に多少の風情をもたらしてくれます。外国人編集協力者になる前、私はなおのこと「ニイハオ!Toshima」の愛読者でした。非常に残念なことに今号で「ニイハオToshima」は休刊となります。東京23区で外国人居住者数が上位の豊島区にとって、今後どのようにして外国人 居住者により充実した、価値のある情報を提供するかが、豊島区及び豊島区に居住する外国人の双方の課題である、と思います。

  豊島区に居住する外国人が、生活する上でどのような情報を望んでいるのだろうか。豊島区はどのような方法でこれらの情報を提供し、豊島区の居住者一人ひとりの暮らしをより快適に、安心させることができるのだろうか。この問題を解決するには、お互いの理解が必要であり、これにより一層明確な答えが得られるのではないでしょうか。これらの特色を備えた外国語刊行物が全く新しい姿で、再び私たちと会えることを心から願っております。 

  今後、豊島区が国際交流イベントをもっと増やし、外国人により深く日本を理解させることを希望します。こうすれば、 日本人が豊島区で共に暮す外国人及び異国文化に対する理解を同時に深められ、そして外国人同士でも理解し合って情報交換をすることもでき、暮らしにおける悩みを語り合い、精神的なプレッシャーを軽減することもできます。最後に、外国人諸兄姉の豊島区における生活、仕事が一層楽しくなりますよう心から祈念します。豊島区または「ニイ ハオToshima」に対して提案または意見がありましたら、豊島区広報課宛までお寄せ下さい。貴方の貴重な意見が「ニイハオToshima」の再開にとって良い作用をもたらすことでしょう。
       (『HELLO TOSHIMA』2005年3〜4月号・No. 134より)


「豊島区新基本計画」
・東京の都心区の街作りに、1994年に初めて在日中国人が参画。
・1994年5月より、『ニイハオTOSHIMA』スタッフが、豊島区基本計画に参画。
「外国人にも利用しやすく住みよい街を目指し、住宅整備、福祉、教育など全般に外国人委員の意見を反映させたい」(日本経済新聞「豊島区 街づくりの審議会 在日外国人も参加」1994年5月24日付より)

・ 基本計画に外国人を参画させたのは、豊島区が全国の自治体に先駆けてのことであり、今日の豊島区の外国人政策の基礎を創った。
 
現在も、王学群(東洋大准教授)、段躍中ら『ニイハオTOSHIMA』スタッフは、池袋に住み、日中相互理解・民間交流を行っている。本ホームページの立ち上げメンバーでもある。


B在日中国人自身の努力
中国人留学生の定住化
・日本に留学したことで、多くの元留学生が専門分野で活躍し、日本社会に貢献している。
(帰国した元留学生達は、副大臣を皮切りに、多くの分野で活躍が目覚ましい。)
・多くの人材を育て上げた日本における国際化・留学政策の成果、偉業であり、世界に誇る友好の証。
⇒在日中国人は、日本社会、日本の国際化、日中関係改善に貢献。民間交流の主力。
中国人留学生の成果
@博士号取得者は6000人以上
A大学教師3000人以上
B日本語の著書1000冊以上
C中国人団体300以上
D中国語新聞40種類以上
E文化芸術家・スポーツ選手1000人以上
               (段躍中調べ。参考:『在日中国人大全』 『在日中国人媒体総覧』)

池袋の中国(語)メディア
・14種類の発行。中国系店舗で無料配布されることが多い。
・現在の発行場所は異なっていても、有力紙の創刊地は池袋が多い。
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歴史や行政の対応、在日中国人自身の努力等、複合的な要因で池袋の在日中国人数は増加。

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