2018最優秀賞(日本大使賞)受賞作

車椅子で、東京オリンピックに行く!

復旦大学 黄安h

 

 

【日本僑報社発】東京2020オリンピック開催を記念して、2018年第14回日本語作文コンクール 最優秀賞・日本大使賞受賞作、黄安hさんの作文「車椅子で、東京オリンピックに行く!」を全文転載します。

 

14回「中国人の日本語作文コンクール」受賞作品集

中国の若者が見つけた日本の新しい魅力

―見た・聞いた・感じた・書いた、新鮮ニッポン!―

ISBN 978-4-86185-267-1 2000円+税

 

 

 

上の写真、2018228日、外務省の取り計らいで、(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(本部・虎ノ門ヒルズ)を表敬訪問した黄さん。中国語の話せるスタッフに最新型の車椅子について説明していただく機会を得た

 

 

車椅子で、東京オリンピックに行く!

復旦大学 黄安h

 

六十歳になった祖母がいる。若い頃は地元で小学校の体育教師をしていた。彼女の人生最大の夢はオリンピックを見に行くことだった。一番残念だったのは、十年前の北京オリンピックに行けなかったことだ。

 

二〇〇八年、待ちに待った北京オリンピック開催の年、祖母は交通事故で右足を粉砕骨折、九時間の手術の末、車椅子生活になってしまった。病床で彼女は何も言わず、ただ窓の外の空を眺めていた。あの日の夕焼けは、流れる血のように鮮やかだった。

 

私は一人っ子である。一人ぼっちだった。祖父や両親は用が多かったため、祖母も一人ぼっちだった。それで、私と祖母は一番の仲良しになった。実家は杭州、祖母と街中遊び回り、また祖母からいろんな話を聞くのが私の楽しみだった。週末になるといつも、八十七番バスの霊隠寺駅で降りて境内の鐘の声を聞いたり、十二番バスの雷鋒塔駅で下車して西湖に沈む夕日を眺めたりした。

 

しかし、事故の後、祖母は外へ出かけなくなった。祖母と外の間に、越えられない壁ができたみたいだった。

車椅子で交通機関の乗り降りをするのは、結構大変なことだ。介護者が同伴しても、バスの昇降口にはかなりの段差があるので乗り降りが難しい。運転士や他の乗客はそれで長時間待たせられ、イライラしてしまうことも少なくない。迷惑をかけているのはこちら、赤の他人のせいで時間を無駄にされたくないという気持ちもわかる。だが、やはりそういう気持ちに触れたり、体の自由がきかないことを直視したりするうち、祖母はどんどん元気を無くしていった。あんなに負けず嫌いだった、祖母が。

 

それ以来、祖母は新聞や絵本を読んだり、手なぐさみに何か弄ったり、縁側の日向で空を見たりして、その日その日を家で過ごした。八月には無事にオリンピックが始まったが、祖母は行かなかった。「本当は、そんなに行きたくないんだ」と言っていたが、そんなはずはなかった。

 

あれから十年が経ち、私は大学三年生になった。昔から日本文化が好きだった私は日本語学科に進み、京都で短期交流のプログラムに参加することもできた。

 

その日は九月中旬を過ぎたにもかかわらず、とても暑かった。昼近くに活動を終え、いつも通りバスに乗った。まもなくバスは祇園に着き、観光地だけに多くの人が乗って来た。立ち並ぶ人の熱気と外からの日差しで、さっきまでの心地よさは一気に無くなってしまった。

 

次のバス停に着くと、乗車待ちの行列に車椅子の方が見えた。

 

「皆さん、すみませんが、お時間いただきます」という車内放送が流れた。運転士が車椅子の乗り込めるスロープを出す間、乗客たちは座席を畳んでスペースを作った。もともと五分遅れている上、更に出発時間が遅れていたが、誰一人文句を言わなかった。介護の方は乗客たちに「お待たせして、すいません」と申し訳なさそうにしていて、車椅子のおばあさんもずっと「すいません、ありがとうございます」と言っていた。乗客たちは、それを笑顔で迎えた。

 

なんだか、心が温かくなった。

 

バスを降りる際、「ご協力ありがとうございました、よい一日になりますように」と運転士に言われた。私は不覚にも目頭が熱くなった。運転士の言葉に感動したのか、皆の優しさに心打たれたのか、それとも、祖母を思い出したのだろうか。

 

たしかに、日本では街で障がい者をよく見かける。都会はもちろん、地方でもバリアフリー化が進んでいて、各所でスロープや多目的トイレがよく見られる。「車椅子の人も歓迎されているんだ」と感じ、感銘を受けた。それは「平等」や「愛」を伝えるメッセージであるだけでなく、不幸な人の心を癒し、幸せにする「薬」なのだ。

 

「ねえ、おばあちゃん、知ってる? 私、おばあちゃんを東京に連れて行くよ。オリンピックに! 車椅子で!」

 

祖母の夢はここで実現できる。日本は魅力的な国だから。そう、信じている。

帰り道に空を見上げた。赤い夕焼けはあの日と同じように輝いていた。

(指導教師 丹波江里佳、丹波秀夫)

 

 

黄安h(こう・あんき)

一九九六年、浙江省杭州市出身。復旦大学日本語文学学部四年。本コンクールへは今回が初参加にして、見事上位入賞となった。

作文は「中国の若者が見つけた日本の新しい魅力」をテーマに「車椅子で、東京オリンピックに行く!」との題で、訪れた日本で進んだバリアフリー文化に接した黄さんが、車椅子の祖母の夢を東京五輪でかなえてあげたいという強く優しい思いを綴った。「先生方をはじめ、ご支援いただい全ての方に感謝したい」と受賞を喜ぶ。趣味は、料理と撮影をすること。