園丁賞受賞校を一校でも増やすために ――初参加で園丁賞と三等賞入賞を導いた大連海洋大の木村真美先生 南陽師範学院 五十嵐一孝 私の在籍する河南省は外国人教員の定年が六十五歳と、他の省に比べて少し長いようである。但し、こればかりは国の政策なのでいつ変更されるか分からない。既に還暦を超えた教師にとっては正に一年一年が勝負といえる。私自身も二〇十九年に五十代で中国に赴任し、教壇に立つようになって今学期で七年目となり、いよいよ定年を切実に感じるようになってきた。残された期間をどう学生と過ごすか、毎日が彼らとの真剣勝負であり、教師冥利を感じながらも責任感で押しつぶされそうな毎日を送っている。 そんな中、あるご縁で一人の日本人教師と知り合いになった。大連海洋大におられた木村真美先生である。実はこの原稿を書いている現在まで木村先生とはお会いしたことがない。ただ、SNSで頻繁に連絡を取り合い、まるで同僚教師のようにお付き合いを続けてきた。 大連はこの作文コンクールで毎回上位入賞の大連外大を始めとする、日本語教育が中国で最も盛んでかつ学生の日本語環境も整った土地柄である。多くの日系企業、日系のスーパー、日本語サロンなど、日本語を学ぶ学生にとっては中国一の環境といっても過言ではなく、河南省の小さな公立大からみると何もかもがレベル違い、いつも木村先生から聞く話に溜息をつくことが多かった。その木村先生は、日系企業が主催するスピーチコンテストに力を入れておられ、学生を入賞させる指導力をお持ちの先生なのだが、この作文コンクールのことはご存知なかった。そこで私がこのコンクールへの応募を強く勧めたのである。 私の在籍する河南省の南陽師範学院は日本人教師が二名おり、基本的に下級生の会話中心の教師と上級生の高級日語と作文を担当する教師とで教科を分担している。作文は二〇十九年に赴任して以来、以前の勤務校である南陽理工学院でも担当しており、私にとって教師としてのライフワーク的な科目となっている。この作文コンクールへの応募も当時の学生から添削を依頼され初めてその存在を知り、「日中友好の懸け橋となること」という作文コンクールの意義に深く共鳴し、そこから本格的な作文指導が始まった。 まだ世界中がコロナ禍で異常だった頃、日本からオンラインでの授業を続けていた第十七回は希望者だけ応募させ、そしてコロナ禍の終焉と同時に大学に戻り、教壇に立てるようになった二〇二二年の新学期の作文の授業からはこのコンクール応募を一年間の授業の到達目標とし、第十九回からクラス全員の応募を現在まで続けている。 そもそも中国のほとんどの大学の外国語学部において、英語教師を中心とした外国人教師の国籍は様々であり、基本的には「会話」の授業だけしか担当しない。日本人教師だけが「語学教師」というより「文化伝播教師」のような存在である。例えば、「日本概況」という日本社会を学ぶ科目や「高級日語」といった時事を含めた総合的な読解力を必要とする授業科目は他の言語学科にはない。日本人である我々の存在意義は正しくそこにある。そして、日本人でなければ学生に伝えることができないことがある。それは「日中友好の意義」である。日本人であるからこそ、学生に伝えていかなければならない最大のテーマ。その「日中友好の意義」を深く感じてもらうのに一番適しているのがこの作文コンクールへの応募なのではないだろうか。同年代である木村先生にこのコンクールの意義を伝えたところ、ぜひ応募したいとの嬉しい返事をすぐにいただいた。そこから、大連海洋大の初参加で園丁賞と三等賞入賞という物語が始まる。 残念ながら木村先生は前学期で定年退職となられたので、今大会は大連海洋大がクラス全員で応募した最初で最後のコンクールとなった。そして特筆したいことは、木村先生はそもそも作文の授業の担当ではなかったことである。私が木村先生を尊敬するのはそこである。担当科目ではない作文をこのコンクール応募のために数か月前からたった一人で準備を進め、五十八名の学生全員の添削を終え、最終的に六十一本の応募を完遂されたのである。作文を担当科目とし、中国人の先生から強力なバックアップを得ている私とは違って時間的にも立場的にも制約があったはずだ。木村先生の持つその情熱と「日中友好」を伝えていくという強い意志がなければ、到底達成できなかった偉業だと思う。 確かに、大使賞を始め学生を上位入賞に導いた数名の先生方の業績に感服するが、私にとってはコンクールの意義を理解してそれをたった一人で六十人以上の学生に継承していった木村先生のような教師こそが最も深く賞賛されるべきだと思っている。 木村先生が去った大連海洋大はこれからも作文の応募をしてくれるのだろうか。そして、大連海洋大だけではなく、木村先生のような熱心な教師が去っていった大学が他にもあるのではないのか。そんな教師がいなければ、このコンクールの応募数も確実に減っていく。だからこそ、同じ中国の大学で教壇に立つ全ての日本人教師にこのコンクールの意義を理解して、応募を促進して欲しいのである。 ここで、一つエピソードをお伝えしたい。 昨年の北京での日本大使館での表彰式で、大使館のある書記官からとても嬉しい言葉をかけてもらった。 「河南省からの入賞は、先生のところ一校だけのようでしたね。大連や北京といった大都市ではなく、河南省のような地方の大学で日本語を教えておられる先生がいらっしゃるとは、感激しました。」 日本政府を代表する外交官からこんな言葉をかけてもらったのである。思わず涙が出そうになった。そして、このエピソードが私自身のモチベーションをアップさせるのは当然のこと、学生たちの意欲も何倍にも膨れ上がるのである。この外交官のメッセージを今回の応募学生に伝えたところ、感激した学生たちは各自が二本作文を書き、作文の授業がない下級生の二年生までもが参加した。その結果が今回の園丁賞に繋がったのである。 現在の中国の大学で決して将来が安泰とはいえない日本語を学ぶ学生が、モチベーションを高めて日本語を勉強し続けるためには、「卒業論文」的な論理力の強化やより高度な文章力といった指導ではなく、「日中友好」の意義をはっきりと理解させ、それを自分の言葉で語らせることに尽きる。本来求められている日本人教師の指導力とは「作文のコンクール入賞力」ではなく、「日中友好の継承力」ではないのか。 AIがますます発展していく将来、今までのような語学教師は必要なくなるのかもしれない。四字熟語の意味の理解やいわゆるコンクールに入賞できるような作文を書かせるといったテクニカルな指導はAIに取って代わられるだろう。しかし、AIにはできないこと、それは「日中友好」への理解、共感、そして次の世代への継承である。それができるのは日本語を現在学んでいる私たちの教え子なのである。 園丁賞は今年は十八校。木村先生のような教師が現在でもたくさん教壇に立っていると思いたい。日本語学科のある大学が全て園丁賞を受賞することは、日本人教師一人一人の意志次第でできるはずだ。 園丁賞を受賞できる大学が増えること、それは取りも直さず日中友好をテーマにした作文を書く学生が増えることを意味する。日本語を学ぶ学生は一人一人が日中の懸け橋となる逸材である。 日中関係がますます冷え込んでいる今だからこそ、我々民間の力で少しでも日中友好の絆を強めていきたい。一つの作文を書くこと、それは学生が日中友好を実践していることに他ならず、その機会を作り、導いていくことが、中国の大学で教壇に立つ全ての日本人教師の責務だと思う。 木村先生、本当に有難うございました。 |