一編の作文が人生を変える

―作文を書くメリット―

 

南京郵電大学外国語学院 小椋 学

 

 

作文が苦手な学生向けに書いた「写真を撮るように作文を書く‐作文を書くヒント‐(第十六回作品集に掲載)」、作文コンクール応募者に注意してもらいたいことを書いた「読者を意識して書く‐作文を書くコツ‐(第十七回作品集に掲載)」の続編として、今回は作文コンクールに参加するモチベーションを高めてもらうため、受賞者にどのような変化が起こったのかを書くことにした。作文を書くのは大変だと思っている人でも、モチベーションが高ければ、何とか完成させたいと思うだろう。この文章を読んで、「よし、私も入賞を目指して頑張るぞ!」と意気込んだが、どう書いたらいいのか分からない時は、前の二編をぜひ参考にしてもらいたい。

 

さて、今年開催された「第十九回中国人の日本語作文コンクール」は二千三百七十六名が応募し、三百三十六名が受賞した。その内訳は、最優秀賞(日本大使賞)一名、一等賞五名、二等賞十五名、三等賞四十名、佳作賞二百七十五名である。受賞者は今年十一月に北京の日本大使館で開催される表彰式に出席し、賞状を受け取ることができる。表彰式に出席すれば、他の大学で日本語を学ぶ学生や中国で活躍する日本人の先生とも知り合うことができる。優秀な学生や先生から多くの刺激を受ければ、今後の日本語学習により弾みがつくだろう。また、三等賞以上の受賞者(六十一名)の作文は作品集として取りまとめられ、日本で出版される。その結果、多くの日本人に作文を読んでもらうことができる。中国人の学生が書いた日本語の文章が本に掲載される機会は、この作文コンクールを除いてほとんどないだろう。だからこそ、中国人の学生にとって、この作文コンクールは本当に貴重な機会である。それから、三等賞以上の受賞者は作品集などの副賞も受け取ることができる。中でも、最優秀賞(日本大使賞)の副賞は特に豪華であり、一週間日本に招待され貴重な体験をすることができる。なお、二〇二〇年から二〇二二年までの三年間は、新型コロナウイルスの感染予防対策の影響で、表彰式はオンラインで行われ、最優秀賞受賞者の日本招待も行われていない。

 

二〇一八年十二月二十五日に南京農業大学で行われた「中国人の日本語作文コンクール」の講演会で、私は白宇さんと知り合った。白さんは、二〇一六年に行われた第十二回「中国人の日本語作文コンクール」で最優秀賞を受賞した。白さんは当時蘭州理工大学の四年生で、五千百九十名の応募作品の中から選ばれた。表彰式では日本語でスピーチをしたほか、取材も受け、記事が新聞やインターネットに掲載された。そして、翌二〇一九年二月二十日から二十七日まで日本に滞在し、作文コンクールの主催者である段躍中先生、指導教師の丹波秀夫先生に同行し、日本のテレビや新聞の取材を受けたり、シンポジウムで発表したり、駐日中国大使館を訪問したり、日本の大学教授や政治家と話したり、コンクール協賛企業を訪問したりした。具体的な内容は作文コンクールのホームページに掲載されているので、興味のある人はぜひ見てもらいたい。このように普通の旅行とは全く異なり、日本で多くの人と出会い、貴重な体験をすることができる。白さんは、日本での体験を通して、将来は中日友好のために貢献したいと思うようになったそうだ。中国に戻ったあと、白さんは南京大学大学院に合格し、宮本賞(学生懸賞論文)で優秀賞を受賞、日本文化交流センター(現在の樹枝日本語)と南京春馬日本語の設立など、様々な活動を行っている。そのきっかけとなったのが、この作文コンクールに応募した一編の作文だった。このように、作文コンクールに入賞することによって、毎年多くの学生の人生が好転している。

 

実は、この文章を書いている私も、作文コンクールで受賞したことがきっかけで人生が好転した一人である。作文が苦手だった私が、二〇一八年に開催された「忘れられない中国滞在エピソード」という日本人向けの作文コンクールで三等賞をいただいた。それまでは作文コンクールで賞をもらったことは一度もなかったので、受賞する自信は全くなかった。私は北京語言大学に留学していた時に、たまたま南京を訪れることになり、その三ヶ月後に南京郵電大学で日本語教師として働き始めたことを思い出して書いた。三千字の作文を書くのに時間がかかったが、なんとか締め切りに間に合った。この作文コンクールで三等賞を受賞したことは私にとって大きな成功体験になった。その後も作文コンクールに毎年応募し続け、これまで三回受賞した。受賞した作文は全て作品集に掲載された。表彰式では中国や日本で活躍する日本人にお会いすることができ、大変刺激になった。その時出会った方との交流は今も続いている。それから、他の作文コンクールにも応募し、中国語や英語で書いた作文が入賞しただけでなく、新聞投稿にも挑戦した。その結果、朝日新聞、東京新聞、千葉日報に私の投稿が掲載された。このように、作文コンクールに入賞したことがきっかけとなって、積極的に文章を書くようになり、多くの人に読んでもらえるようになった。以前の私には考えられなかったことであり、人生が大きく好転したと実感している。

 

 

ちなみに、私が「中国人の日本語作文コンクール」の作文指導を始めたのも、二〇一八年の受賞がきっかけだった。表彰式の時に段躍中先生から「来年は学生にも作文を書いてもらって応募してください」と言われて手渡されたのが第十四回作品集だった。私は翌二〇一九年から作文指導を開始した。二〇二三年までの五年間に、二等賞二名、三等賞三名、佳作賞十八名の学生が受賞しただけでなく、私も毎年優秀指導教師賞をいただくことができた。

 

「中国人の日本語作文コンクール」を主催する段躍中先生は、一九九一年に来日し、駒澤大学大学院に入学した。日本語の作文能力を向上させるため、当時から日本の新聞への投稿を行い、翌一九九二年八月十五日の読売新聞に「外国人留学生の記事、明るい面も報道して」が掲載された。自分が書いた文章が掲載されて自信をつけた段先生は、その後も積極的に投稿を続け、これまで二百以上の文章が新聞や雑誌に掲載された。一九九六年八月に日本僑報社を設立し、二〇〇五年から「中国人の日本語作文コンクール」を主催している。今年で一九年目になる。段先生は学生に対して「一編の作文が人生を変える」と話し、作文コンクールへの参加を呼び掛けている。

 

第十五回の日本大使賞を受賞した白さんも、中国滞在エピソードで三等賞を受賞した私も、読売新聞に投稿した文章が掲載された段先生も、一編の作文がきっかけとなって人生が好転した。他にも、数多くの受賞者の人生が好転した。次はもちろん、今この文章を読んでいるあなたの番だ。この文章が多くの人の人生を変えるきっかけとなれば幸いである。そして、自分の夢を実現し、中日の架け橋となって活躍されることを期待している。

 

作文指導の三部作はこれにて終了する。受賞者の人生を大きく変える「中国人の日本語作文コンクール」が今後も末永く続いていくことを祈っている。また、作文コンクールを主催する段先生、作文コンクール事務局の皆様、作文コンクール協賛企業の皆様、作文を指導された先生方、受賞者の皆様、そして私の文章を最後まで読んでくださった全ての方の人生がますます好転していくことを祈っている。