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中国人の日本語作文コンクール
 

中国人日本語学習者の日本観の変遷
―10年間の「日本語作文コンクール」応募作を通して―
段 躍中    
 
 私が代表を務める日本僑報社が主催する「中国人の日本語作文コンクール」が今年で第10回目を迎えた。このコンクールは、日本に留学経験のない日本語を学ぶ学生を対象としており、今年も例年と同じく中国全土から約4133編にも及ぶ応募作が寄せられた。
 毎年、応募作文を読むたびに、学校で指導を受けている日本語教員以外の日本人とはなかなか触れ合う機会もないであろう学生たちの日本語力の高さに驚かされるのだが、それと同時に感心させられるのは、日本語学習を通じて日本への理解を深めた学生たちが、日本をとても好意的に受け止めていることである。
 残念ながら、コンクールを開催してきたこの10年間の両国関係は、年を重ねるごとに悪化の一途をたどっているとさえ言える状況であるが、市民レベルではどうなのだろうか?
 学生たちの作文から、彼らの日本に対する考えの変遷を辿っていこうと思う。
 
両国関係の節目の年にコンクール開始
 
 コンクールを始めた2005年は、日本と中国にとって良くない意味でひとつの節目となった年であった。
 2001年に小泉純一郎氏が「どんな批判があろうと8月15日に靖国神社に参拝する」と宣言した上で首相に就任してから、日本と中国の間には不穏な雰囲気が漂い始め、2005年に竹島問題をきっかけとして韓国で反日運動が起こったことに呼応するように、中国の都市でも反日運動が表面化してきてしまった年であったのだ。
 そのような厳しい両国関係の中、応募が開始された第1回目のコンクールの作文テーマは「日中友好への提言」であった。
 運営が不慣れであったこともあり、告知が行き届かなかった部分も大いにあったにも関わらず、85の団体から1890名が応募してきてくれた。
 上位入賞作には、日中間で摩擦が発生している中で日本語を学んでいたばかりに、楽しみにしていた日本への旅行や留学が中止に追い込まれ、悲しい思いをしたというエピソードを語った作品がいくつかあった。しかし、彼らはそんな辛い経験しても、日本語を学習している自分たちの立場を恨んだりすることなく、また、日本語学習を放棄することもなく、ほとんどの作者が作文の後半で「ほかの中国人より日本語や日本が理解できている自分たちだからこそ、両国関係の改善に役立てる」ということを異口同音に表し、使命感まで持って、自らがその責を負う決意を表明していた。
 また、彼らの「日中友好への提言」は、日中にいる自分たちのような相手国を理解している人が、身近な人たちの誤解を解くことから始めるべきだ≠ニいうものが多かったが、まさにその通りだと思う。私もその当事者の一人として、日本僑報社から中国に関連する書籍を日本語訳して出版しているほか、「星期日漢語角」(日曜中国語コーナー)という誰でも参加できる中国語交流サロンを設けるなどして、両国の民間交流に微力ながら貢献している。
  国同士だけでなく、個人同士においても、仲を深めるためにはお互いをよく知ることがもっとも重要なポイントである。私は1991年に来日して以来、草の根交流を促す活動を続けてきた中で、常に「日本と中国はどのように相互理解を深めていけばいいのか?」を念頭に置いてきた。相互理解には、双方の間に立ってくれる仲介者が必要であり、日本語学習者は、その重要な役割を果たす大事な要素をもっている。そして、日本人の中国語学習者も、もちろん、その役を担える人材である。
  しかし最近、日本で中国語を学ぶ人が減っているという噂を耳にしている。コンクールへの参加者数からみても、中国での日本語学習熱がまったくと言っていいほど冷めていないのを感じているが、その一方、日本ではそのような傾向にあるということは非常に残念なことである。この状況をなんとか打開できないものかと思い、2008年に日中翻訳学院を立ち上げた。優秀な講師陣を招聘し、これまでに多くの受講生を輩出し、中には、すでに単独で翻訳を手がけた書籍が出版され、翻訳家デビューを果たした人もいる。 今後も日中翻訳界によりハイレベルな人材を送り出すため、この活動にも力を入れていきたいと思っている。
 
見えない壁を飛び越える力
 
 毎回、応募作に多数見られるのが「壁」という言葉である。
 やはり両国間にはいかんともしがたい壁があるのは確かで、それは学生レベルでも感じ取れるほど存在感のある物なのであろう。しかし、彼らの作文を読むと、彼らは自分の身近にあるそれと同種類の壁はなかなか軽快に飛び越えているという印象をもつ。
 第2回コンクールの最優秀賞受賞作文でも、その例が記されていた。
 作者には道に迷っているところを助けたのが縁で知り合った日本からの留学生の友人がおり、彼女が帰国する際に、「私は中国で見た綿のような雪やおいしい食べ物、何よりも、出会った中国人の一人一人の温かい笑顔など、私が見た、聞いた、感じたすべてのものを日本人に伝えたい」と話すのを聞いて、作者が長い間自問し続けてきた「『親日家』と言われて複雑な気持ちになってまで日本語を勉強する意味」と「自分にもできる日中友好とは何か」についての答えを見つけ出せたというのだ。
 このように、一人では乗り越えることができなかった壁も、同じ気持ちを持つ人との交流によって跳躍力を得て、一気に越えることができることもある。
 そのため、一人でも多くの同志≠両国に増やすことが、日中関係の好転を望む人々にとって急務であると思う。
 
本当の「一衣帯水」の関係へ
 
 また、「壁」と同じく、よく作文に登場するのが「一衣帯水」という四字熟語である。
 この言葉は、「双方の間にはわずかな水が流れる細い川ほどの隔たりしかない」という本来の意味が転じて、両者が非常に近しい間柄であることを表している。しかし、応募作文に登場する際には、この言葉のあとに必ず「…と言われているが」、「…であるにも関わらず」など、否定語が続いているのが常となってしまっている。両国の間には、今は細い川ではなく、長い間凍ったままの氷河が横たわっているような状態である。
 この氷河が現れた原因には、やはり先の戦争の影響が大きい。
 第3回コンクールの一等賞受賞作の作者は、父の友人から中国に短期滞在する日本人の世話を頼まれた。その日本人は、どこか冷たい目をした付き合いにくそうな印象を受ける、自分より少し年上の女性で、時々彼女の買い物などに付き添っていたが、ある日突然「中国人はまだ日本人が憎いの?」と尋ねられたという。作者は率直に「確かに自分たちはあの苦しい時代を忘れることができない。でも、戦争を起こしたのは悪人の仕業で、平凡な一般人はいつの時代も、どこの国でも犠牲者だと思う。心を開いて未来に向かって話し合えば憎む≠ニいうという氷はきっと溶けるだろう」と答えると、二人の距離が一気に縮まったという。
 実はこの日本人女性は数ヶ月前に育ててくれた祖父を亡くしていた。そしてその祖父は亡くなる寸前に、自分がかつて中国に出兵し、現地の人を殺めてしまったことを悔やみ、「彼らは一生許してくれないだろう」と言い残したのだという。
 彼女にとって作者の一言は、まさに中国、そして作者との間にあった広大な氷河を一気に溶かす、暖かい太陽の光のようなものであったに違いない。
 
ふれあうことで真実がわかる
 第4回コンクールのテーマのひとつは「私の知っている日本人」とした。
この年、四川省で大きな地震が発生し、被災地にいち早く駆けつけた日本の救援部隊による懸命な救助活動や、犠牲者に黙祷する姿が中国国内のニュースで報じられた影響で、中国人の日本人に対する見方が急激に変わった時期でもあった。この報道による世論の変化を体験したこともあってか、応募作には「知らない」ことが原因で恐れや憎悪の原因にもなってしまうという主旨の内容が多く集まった。
 二等賞受賞作では、担当の日本語教師がいつも首から携帯電話をぶら下げており、それは、以前勤務していた学校の生徒が、街で携帯を盗まれたその教師に対し「中国人を嫌いにならないで」という言葉を添えて、お金を出し合って買って、贈ってくれた物だというエピソードがつづられていた。
恐らくこの教師は、お金を出し合った生徒たちにとって初めて直にふれあった日本人で、教師と出会う前の彼らはたぶん、一般的な中国人と同じで、日本人に対して良い印象をもっていなかったと思われる。それなのに、中国人≠嫌いになってほしくない一心で、決して安くはないであろう携帯電話を買ってプレゼントしたということは、彼らにとってこの教師が非常にかけがえのない存在となっていたからに違いない。
つまり、彼らはたった一人の本当の日本人≠知ったことで、過去の一部の日本人の行いが元で抱いてしまった偏見を払拭することができたのだ。
 2010年の第6回コンクールのテーマは「メイドインジャパンと中国人の生活―日本のメーカーが与えた中国への影響」とした。このテーマに決めたのは、中国の若者に日本の企業や製品について自分の意見を率直に出してもらいたいと思ったのが理由だった。
 また、中国の次世代を担う人たちの声が日本の企業に伝われば、これから中国への進出を検討している企業や、既に進出していながらも、期待した効果が上がっていない企業に、現状を打開するためのポイントを提示できるのではないかという狙いもあった。そして、日本とは社会体制が異なる中国において、ビジネスで成功することは容易ではないが、中国人の考え方を理解することがその一歩になるのではないかと思い、貴重な「世論」を集められるとも考えていた。
 この回の応募作を読んで改めてわかったのは、中国の消費者が日系企業や日本にルーツを持つ製品に対して抱いている安心感、信頼感が絶大であるということである。
 ニコンやキヤノンのデジタルカメラ、カシオの電子手帳、シャープの液晶テレビ、パイロットのシャープペンシル、資生堂やDHC、花王の化粧品、池田模範堂の液体ムヒS、さらには、竹田製菓のタマゴボーロまで、日本人審査員も驚くほど多岐にわたる製品への中国の若者からの感謝と称賛の声は、日本の企業が自社の製品にも巨大な中国マーケットに勝負を挑める有力な武器があるという自信の復興を促し、さらにその武器を強化することに役立ててもらえたと思う。
 この回のコンクールで最優秀賞を受賞した作品「幸福の贈り物」には、技術者として日本に派遣された作者の父が、1986年に帰国した際に買ってきた日本製のテープレコーダーが今も自宅にあることが紹介されており、作者は次のように記していた。
  「それは私たちにいつでも家族の愛がそばにあるという幸福感を与えてくれた。ナショナルの創業者、松下幸之助は『利益』より『人々の生活を潤すこと、人々の生活向上に奉仕すること』が企業活動で一番重要なことだと述べている。生活のゆとりを与えて家庭に幸福をもたらすのに、日本のさまざまな製品は世界中で貢献してきた。父の影響を受けた私は、今日本語を学習しているが、将来、日中の人々に幸福をもたらす友好の架け橋になりたいと思っている。それが、テープレコーダーのお返しになれば幸いである」
  このように、日本人のものづくりの精神は、今の中国の若者の心をもとらえている。「日本企業の技術に追いつくのは簡単だが、日本の製品の品格に追いつくのは難しい」という韓国人経営者の言葉を引用し、日本のインスタントコーヒーの合理性や、イヤホンの説明書から垣間見える消費者への細かな心遣いまでも感じ取り、尊敬の念を示す受賞者もいた。
 それぞれの作文に書かれていたのが個々の製品に寄せられた感想であったにしても、この成果は日本企業全体の長期的な努力の賜と言えるであろう。そして、日本企業が末長く中国社会で存続するには、この「ものづくり精神」をますます進化させることが不可欠であると思う。
 また、この前の年に開催された第5回コンクールの最優秀賞受賞作は、中国にある日系企業を見学した際の感想をまとめた作文であった。
 その企業は、環境問題を解決するための技術とサービスを提供しており、自社が開発したボイラーにより中国で深刻化している産業廃棄物の処分時に起こる土壌や空気の汚染を軽減させ、中国で「循環型社会」の実現を目指しており、作者はこの企業の「環境への負担をなるべくゼロに近づける」という企業理念に共感し、社長が述べた「企業活動を通して社会に貢献することは当たり前のこと」という何気ない一言に大変感心したという。そして、最後に、「日系企業や日本人が、中国の改革・解放に地道な貢献を続けていることを知り、それを広く中国人に伝えたい」と締めくくっていた。
  このように、中国人は日本人そのものに触れることで持っていた偏見を改めるだけでなく、日系企業の作り出す製品やその経営理念などにも中国との違いを感じ、感銘を受けているようだ。
 
広がる「知日」の輪
 
 第7回コンクールは2011年に開催された。
 応募開始が5月であったこともあり、当初は予定になかったが、急遽テーマに「頑張れ!日本!」を追加した。東日本大震災に見舞われた日本に対し、中国の若者がどのような思いを抱いたのかを知りたかったからだ。
 最優秀賞受賞作も、そのテーマで書かれた作品であった。
 作者は、中国の大学生が集うインターネットの掲示板に、被災直後の日本への激励を書き込んだ。すると、友人たちからも次々と日本を思いやる書き込みがされていったが、いきなり「ざまぁみろ。東京でマグニチュード10の地震が起きればもっとよかったのに」という書き込みがされた。その書き込み主である高校の同級生・王君を諫めたところ、彼の祖父が戦争で日本兵に殺され、日本をひどく恨んでいるのが原因だとわかった。何とも言えない気持ちを抱いた作者は、インターネットで日本の地震に関する他の人たちの発言を見てみたが、やはり少数ながらも悪意に満ちたコメントがあり、どうしてそんなコメントができるのかと考えた結果、「彼らが日本について戦争のことくらいしか知らないからだ」という結論に至った。そのため、日本のいいところを知っている自分が彼らの考えを変えられないかと、王君に向けて、日本の被災状況や四川大地震の際の日本の救援部隊の活動について心を込めたメールを送ってみたところ、しばらくたってから、「被災状況を見てショックだった。それに、日本は四川大地震の時、一番に救助部隊を派遣し、世界で二番目に多い義捐金を送ってくれていたなんて知らなかった。祖父のことは忘れられないが、日本について教えてくれてありがとう」という返事を受け取ったという。

 第八回コンクールでは、二次審査が終了する頃に尖閣諸島(中国名、釣魚島)問題が勃発した。
 奇しくも、テーマのひとつは「日中両国民が親近感を高めるための、私ならではの提言」で、「自分から変わろうとする心がけ、お互いに知る≠アとと知ってもらう努力≠ェ両国の関係を輝く未来へ導く鍵」という指摘や、このような時だからこそ「政府に期待するより、まず、個人個人がお互いに隣の国を知ろうとする気持ちを持つことが大切」と相互理解、民間による草の根交流の必要性など参考となる多くの提案がされていたが、現実の日中間の関係は史上最悪の状態に陥り、日本のニュースでは、中国の都市部で繰り広げられる反日デモの様子が連日報道されるようになってしまい、次回のコンクールの開催に暗雲が立ちこめるほどになってしまった。

 
日中友好の希望の灯は消えず
 
 昨年、2013年に開催した第9回コンクールのテーマは「日本にまつわる感動」とした。
両国関係が史上最悪と言われるほどの状況にあっても、「感動」が両国民の心をつなぐきっかけになると考えたからだ。
 この回の応募者たちには、最も反日デモが激しい頃に日本語を学習し始めた人も多かった。入学試験の成績により、否応なしに日本語学科に振り分けられた人にはその運命を嘆く人もおり、また、自ら望んで日本語学科を選んだ人でさえも、その「難しい立場」に戸惑い、将来転科することを考えた人も多かったようだ。
 そんな状況下においても、例年と変わらぬ約3000もの作品が寄せられ、主催者としてはほっと胸をなでおろしたと同時に、日中友好を思う者としては、あの状況下でも日本語を熱心に勉強している中国人学生が数多くいることがわかり、非常に嬉しい気持ちにもなった。
 日本との間で次々と難題が発生している状況でも、中国に居ながら日本語を勉強しているという、ある意味、難しい立場の彼らは、周囲の人々の目を気にしつつも、日本の良いところを認め、素直に感動してくれており、作文に、日常生活で自分や家族が日本人と触れ合い、感動した体験を思い思いに描いてくれていた。
 いにしえの優雅さを短い言葉の中で語る和歌の世界や、出会って1週間しかたたない中国人に「国が原因で中国人を拒否するのは理不尽」とおもてなし≠フ精神で誕生日を祝ってくれる研修仲間、旅行で訪れた日本で迷子になり、道を尋ねると、目的地まで連れて行ってくれた夫婦……
 そこには政治的な対立を乗り越え、積極的に交流を続け、友好を育もうとする、ごく普通の日中の市民が登場する。もちろん、文化や習慣の違いは大きく、「相互理解」と言っても、そう簡単に実現するものでもない。だが、そこを認識した上で、その差を縮めていこうという強い意思を持ち、お互いを尊重し合えば感動も共有できる。そういった体験が活き活きとつづられていた。
 学生たちを感動させた「日本力」は、審査員を務めた日本人からも「応募作を読み、日本の文化や日本人を見直した」という声が寄せられた。
 国同士の関係が良くなくても、学生たちは心の目を閉ざすことはなく、見るべきものをしっかりと見て、感じ取り、日本語にして発信してくれたことに、私は喜びを感じずにはいられなかった。
 
今後の日中関係の行方
 
 コンクールの受賞作は毎年書籍として刊行しており、特に日中関係が悪化してからはいろいろなメディアで取り上げられ、高い評価をいただいている。
 作品集を読んだ日本人の読者から、これまでにこのような感想が寄せられた。
 「日本の製品、モノ、文化、言語、筆者とその家族のエピソードが数多く掲載され、実体験に根ざしたありのままの声を聞けたが、驚かされるのは日本語レベルの高さだ」、「日本での報道からは、中国人の対日感情は悪化していると思っていたが、彼らの生活体験に基づいた日本企業や日本製品に対するイメージや信頼性が揺らいでいないということが実感できた」、「好意的な評価が浸透していることを知り、今後の日中交流に明るい希望が持てると確信できた」。
 コンクールの応募者たちは、時には周りから日本語を学ぶことを批判されながらも勉強に勤しんでいるばかりでなく、同時に日本人や日本文化への理解も深め、その素晴らしさに感動し、作文という形にして発信してくれた。
 彼らは今後も日本の良さに触れ、それを何らかの形で発信してくれるはずである。
 日中という『引っ越しできない隣人同士』がウィン・ウィン≠フ関係を築くためには、お互いが尊重し合い、気持ちを通わせながら関係を築いていくことが必要ではないかと思う。その実現には、両国の政治家やマスコミの努力ももちろん重要だが、筆者は、一般市民の努力も必要であると考える。「仲を深めるためにはお互いをよく知ることがもっとも重要なポイントである」とは先ほども書いたが、アメリカなどと違い、中国は、一般市民から発信され日本まで届く情報が非常に少ない。そして、逆に日本の個人が発信した情報も、中国には届きにくい。そのため、両国民が手軽に相手国の情報を得られるのはメディアを通してということになるが、メディアが伝えるニュースは非常に内容が偏っているため、お互いの国民の本当の姿というものはまったくと言っていいほど見えてこない。
 それに対し、コンクールの受賞作品集は中国の一般市民、しかも、まだ社会に染まっていない若者の生の声を収録したものであると同時に、貴重な世論でもある。
 ぜひ多くの皆さんに読んでいただき、中国にもこれだけ日本を好意的に思い、日中友好を願う若者たちがいるということを知っていただきたいと思う。

 そして、市民レベルからの両国関係改善には、日本語学習を通して日本の良さに触れる中国人がさらに増えることが有用だとも考える。それにはまず彼らを指導する先生たちを支援する必要があると思うし、また、日本語を学ぶ学生たちの日本語力向上にも、先生方の尽力なくしてはありえないものである。そのため、我々は第三回コンクールから、学生の作文指導に業績ある日本語教師を表彰する「園丁賞」を創設し、日本僑報社の日本語書籍を贈呈して、少しでも日本語学習に役立てていただければと思っている。
 中国で教壇に立つ日本人教師の月給は数万円だという話も聞く。これは、日本語を教えることに対し高い志がなければ続けていけない金額である。さらに、現在のように両国関係が悪い中では、日常生活においても何かと大変なことが多いであろうと推測される。そのような中、熱心にご指導下さっている先生方には、重ねて感謝の意を表したい。
 コンクールは今年、第10回の節目の年を迎えた。
 今年は過去最高数の作品が寄せられ、事務局は受付作業に忙殺され、嬉しい悲鳴を上げた。
 今年のテーマは「ACG(アニメ、コミック、ゲーム)と私」、「公共マナーと中国人」の二つとしたが、「ACG」のテーマには、日本のアニメを見て育った世代ならではの、日本のサブカルチャーへの愛に溢れる作品が数多く寄せられ、「公共マナー」のテーマには、経済力を増し大国となった中国が国際社会で通じる真の大国になるにはどうすればいいかを真剣に考え、現在の中国における公共マナーについて憂える内容のものが多数集まった。
 第10回も例年通り受賞作品集を制作し、今年の12月頃出版する予定となっている。
 今の中国に生きる、次世代を担う若者たちのリアルな発言に、ぜひ耳を傾けていただきたいと思う。

         季刊中国119号(2014冬)
                 (だん・やくちゅう Duan Yuezhong 日本僑報社編集長・日中交流研究所所長)
                                                            
 

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