「作文指導とともに成長を遂げて」
西南民族大学 徐秋平
 

  小さいころから、いろいろと立派な夢を抱いていた。そのころ、考え方が甘かったので、「○○家」にならないと、夢とは言えないと思っていた。「将来は何になりたいですか」という質問をされたら、画家とか、科学者とか、そうした定番の答えになったのである。いま考えてみると、ほんとうにおもしろいと思う。
 高校の時、数多くの本や名作を読んだ甲斐があり、国語という科目が大好きになった。それで、当時の夢は「作家になりたい」に変わった。ありがたいことに、教師の教えのおかげで、作文を書くことが好きになったのである。
作文の魅力とはなんだろう。ごくありふれた文字も組み合わせによって、人々を感動させたり、考えさせたりする力が生み出されるのではないだろうか。その裏には「笑いと涙」「思いと溜息」「悟りと心得」なども隠されている。文字というのは、不思議な魅力を持っている。大学で専攻したのは、国語ではなく、日本語科だった。「国語のよくできない人は、日本語もうまくできない」と大学の師は常々強調していた。わたしもそう思っている。中国語でも日本語でも、どちらもそれぞれの魅力を持っている。文字の魅力を生かそうというところは共通している。日本語教師になって、作文の授業を担当してから、文字との絆もより深められるようになったと思う。

 しかし、日本語作文の授業というのは、言うはやさしいが、行うのは難しい。なぜかというと、自分で書くことと、学生に作文の書き方を教えることは、まったく立場が違うからだ。学生たちに素晴らしい作文を書いてほしいなら、どうすればいいか、いろいろと考えた。語彙や文型はもちろん、中国語と日本語との転換をどのように行うか、それはなかなか難しいことだと感じている。
 はじめは、日本語のレベルが何よりも重要だと考えた。そこで、学生たちに文型の活用など多くの練習をしてもらったが、あまり能率が上がらなかったようだ。文をつくってもらう場合は、まだ良いのだが、中国語の文を日本語に訳してしまうと、問題が生じてしまう。なぜだろう。その時、改めて大学時代の師の話を思い出した。中国語のレベルも重視すべきだという。数多くの本や名作などを読むことによって、文字や語彙などへの理解も深くなるからである。国語と日本語の作品の濫読と精読も欠かせない部分である。
 それから、次の問題に気がついた。中国語と日本語の転換は大切な一環である。中国人なので、何か書こうとすると、まず頭の中に浮かんでくるのはやはり母語としての中国語である。中国語にあたる日本語を表現するためには、文法と言葉遣いが大切だが、日本語の向上だけではまだ足りない。それに気づいてから、今度は学生にたくさんの常用表現を基礎練習としてやってもらった上で、中日対訳の練習もつづけさせることにした。たとえば、「看情况」「吸引力」「感情好」などの中国語の表現は、日本語の場合はどういうふうにいえばいいのか。練習するうちに、違いがだんだん身に着いていったが、まだまだ足りないと思っている。
 ある日、学生たちに「故郷」をテーマに、中国語で作文を書いてもらうことにした。日本語作文の授業なのに、なぜ中国語で書くのかという疑問をもっている学生たちが、中国語で作文を書き始めた。出してもらってから、おもしろい比較検討をはじめた。まずはその文章の中でよくできている素晴らしい表現に印をつけてもらう。それから、その文をみんなといっしょに日本語の表現に書き直してもらう練習をする。すると、中国語の場合は、みんなはちょっと抽象的で概括的な表現を使っている。しかし、日本語で同じ意味を表す日本語の表現はずいぶんと違っている。日本語の表現のほうが繊細な表現、感性的な表現がよく出てくるのである。たとえば、中国語での「思?、想家」という概括的な表現は、日本語の場合は、「故郷の月がなつかしい」とか、「おふくろの味がなつかしい」とか、「幼馴染に会いたい」とか、このような具体的共鳴をもたらす表現が慣用的であるようだ。こういうところがほんとうにおもしろい。それも文化の違いといえるかもしれない。

 慣用句だけではなく、決まったテーマをめぐって、書いてもらう実践もよくやっている。クラス全員の学生を二組に分けて、一組は中国語の作文を書いてもらい、二組にそれを日本語に訳してもらったりする。こういうやりとりの中で、中国語と日本語の表現の違いがはっきりとつかまえることができ、ようやく効果が出たようだ。学生のほうもなんとか何かを書けるようになってきた。
 ところが、書けることとよく書けることの差はまだまだ大きい。どうすればいいか。もちろん、多くの例文や美文などを読むことも欠かせない。真似という工夫も必要である。日本語らしい表現があれば、すぐメモに書き込むのである。このようにして、「日本語表現の貯金箱」のようなものを作ることができた。文型の練習、中日表現の転換、例文の模倣などを通して、学生たちもすこしずつ日本語作文のレベルが高まってきた。
 作文コンクールにおいては、素晴らしい作品を書くには、どのようなことが必要なのか。ノウハウはどこにあるか。テーマによっては、気持ちや実体験などの内容も喜ばれているようだが、自分なりの理解と分析も大切だと考えている。つまり、実感と観察力と表現力、それから考える力、いずれも大事なのである。新聞記事とヒットした話題をめぐり、検討してもらうのもいい方法ではないかと考えている。作文を書くことは、言葉遣いと心遣いが大事。理解力、思考力、表現力からなる総合力が必要とされる科目なのである。作文教師としても、自分自身のレベルを高めなけれならないと思っている。
 日本語作文の授業を担当するおかげで、いまでも作文を書きつづけることができて、幸せに思っている。「中国人の日本語作文コンクール」の参加は四回目になり、学生たちの作文指導をする時、数多くの素晴らしい作品にも出合ってきた。作文コンクールのおかげで、試験に合格する作文を書くためだけではなく、どのように素晴らしい作文を書くか、それについて、考えたり実践したりするのも一教師のわたしにとってはいい勉強になり、励みにもなっている。
 作文というのは、私の理解では、「文字の遊び」でもあり、「文字の芸術」でもある。こういう文字との絆をもっと深めたいと思っている。教師として、日本語作文の授業が担当できてよかったと思う。作文指導とともに一教師としても成長することができ、感謝している。これからももっと素晴らしい日本語の文章をたくさん読んでみたい。学生たちといっしょに文字の魅力そのものを味わいたいと思っている。

 


【略歴】
徐秋平(じょしゅうへい)
1979年生まれ。
2004年四川大学外国語学部卒業
2004年7月から中国成都市西南民族大学外国語学部に勤務。日本語教師歴14年

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