【特別寄稿】審査員のあとがき
湖南大学 瀬口誠
 

  前回の『審査員のあとがき』を書いたのは、夏休みの終わり、北京から山西省運城へ飛ぶ飛行機の中だった。その後脱稿してからの一年は、とにかく波乱にとんでいた。この新しい「あとがき」は、その一年間に審査員として、教師として、そして中国で生活する一日本人として感じたことを交えて書いたものである。今次のコンクールにおいても、まず述べなければならないのが、審査に携わった方々への労(ねぎら)いの言葉であろう。多くの審査員を悩まし、審査協議が例年になく難航した今回、それはやはり、学生たちの甲乙つけがたい作文があってこそである。そして、それを指導し学生たちを未来へと導く日本語教師たちがいてこそ、本書は完成したと言えよう。


1.

  2017年「第13回 中国人の日本語作文コンクール」の第一のテーマ「日本人に伝えたい中国の新しい魅力」は、ますます不確実さを増している日中関係を突破する、新しい世代の希望の光源である。メディアに現れる論調の多くは、日中の衝突の側面ばかりを強調しているかのように見えるが、同時に他のもっと必要な側面、例えば中国の尽きることのない魅力の紹介については、ほとんど無関心ですらある。メディアやネット民は、現代にまで息づく中国の深い魅力については不可解なほど消極的で、日中の深い歴史的営みについてさえ扱うことを拒否しているかのようである。それに、「爆買い」の取り扱い方は、日中国交回復45周年にとって良い前兆であったとはいいがたい。「爆買い」を当てにすればするほど、日本国内のインバウンド消費に目が行ってしまい、多くの日本人は、中国を「爆買いをする人の家計」としてしか見ることができなくなっていたからである。
  そしてその結果、恐れていたことが起きてしまった。それは、たまに新聞の広告欄の中国旅行案内に散見される世界遺産だけが中国の魅力になってしまったのである。アメリカから持ち込まれるシアトルズ系には熱心であったが、その反面、私たち日本人の日常飲食になったお茶やラーメンや餃子のルーツには、無関心になってしまった。同時に、改革開放後の経済発展に沸く中国人自身も、自らを「悠久の歴史」を有すると称してはいるが、万里の長城の落書きに見られるように、国民一人一人が歴史遺産を守り伝承することを疎かにしていた。だからこそこのテーマは、中国で日本語を学ぶ若者の試みとして、大きな意義をもっている。
  第二のテーマ「忘れられない日本語教師の教え」は、この「中国人の日本語作文コンクール」の一貫したテーマである日本語教師の熱い物語である。このテーマの最大のポイントは、日本語教師が中国で教えているどんな教師よりも、夢と感動を作っているということである。つまり、教師の熱心な指導や、学生が希望を失い諦めかけた時、挫折しかけた時に学生の傍に寄り添い励ましてくれた物語である。このテーマは、さらに二つの重要な問題について言及している。すなわち、恩師と夢についてである。
  そして最後に、今回の第三のテーマ「中国の日本語の日に私ができること」は、「中国人の日本語作文コンクール」の主催者が、毎年12月12日に挙行されてきた表彰式の日を、日中国交正常化45周年に合わせて「日本語の日」として創設したいという願いから生まれたものである。この日に学生として何ができるのか、日中国交回復45周年を記念する行事を新世代の学生がどのように発展させるのか、新鮮な提案が求められた。


2.

  昨年の「あとがき」で、私はかなり感情的で危ない橋を渡るような主張を展開している。爆買いは続き、日本の政府も市町村も爆買い観光客を取り込もうと血眼になっているというのに、私は単に「爆買い」の変化があたかも主流になろうとしているかのような論調を展開しているだけではなかった。私は学生たちの作文について論評にとどまらず、学生と日本語教師たちに対して作文コンクール参加の問題点を指摘しており、学生の日々の学習の到達点ではなく前年を超える更に気合の入った作文の執筆を促してさえいる。そして、作文コンクール参加は学生と教師の共同作業であるとも主張した。
  予想していた通り、私のこれらの主張は様々な反応と批判を招いた。ある教師は、学生の日本語学習の一環として作文コンクールに参加しているだけであって、先輩たちの作文より良い作文を書いたりする必要などないと言い切った。ある教師は、学生を一か所に集めて「よーい、ドン!」で作文を書かせ一斉テストすることこそが作文コンクールであると息まいていた。
  私が前作の「あとがき」を書いてから一年が経ち、今年もまた、私は本作文コンクールの審査員を務めさせていただいた。本書に収録された多彩な作文の一覧は、目次を見ていただければ分かると思う。ここでは、この一年間に私が考えてきたことを顧みながら、本年作文コンクールに提出された作文について検討してみたい。


第一テーマ「中国の魅力」

  第13回作文コンクールの最大のテーマは、もちろん、「日本人に伝えたい中国の新しい魅力」であり、それは経済発展に沸く中国を映す鏡でもある。一年前、私はこのテーマを提案し、幸運なことに採用していただいた。このテーマは、中国に赴任してからずっと心中に抱き続けてきたテーマであり、今、日本人と中国人の双方にとって必要なものだという強い想いがあった。一年前の12月14日、微信グループ上で、私は提案趣旨の補足を次のように述べている。

  私の補足は、皆さんの想像力に訴えるものです。
  それは、もし、第13回作文コンクールの作文集が完成すれば、日本人だけでなく、外国人、そして、自分たちが、中国人自身が読みたい、見たい、体験したい、そして行きたくなる、《最新! 魅惑の中国旅行ガイド 秘蔵版》になるのです。これは、世界で唯一最高のガイド本になるでしょう。どんな作文が集まるのか、今からワクワクします。
  皆さんの熱い熱い熱い「想い」がいっぱい詰まった作文を期待しています!


  果たして、今次の作文コンクール受賞作文は、期待を裏切らなかったと信じている。審査員は、学生たちが紹介する中国の魅力に読みふけり、感心しながら、第一読者となって読ませていただいた。読者の目に触れることなく惜しくも一次審査で落とされた作文の中にも、素晴らしいテーマや知見が溢れていたことは、ここに記しておかねばなるまい。厳正な審査を潜り抜け日の目を見た作文を読んだ読者の方々は、そこに、中国の悠久の歴史、広大な国土、多様な文物、新しさと懐かしさを発見することだろう。
  とはいえ、このテーマに投稿された作文の山から、他山の石を発見することも、学生たちの作文能力向上のために必要な事だろう。指導に当たられた教師たちはご存じだとは思うが、このテーマに取り組んだ学生たちの多くが、テーマ「新しい中国の魅力」のキーワード「新しい中国」に目が行ってしまい、捕らわれてしまっていた。そのため、多くの作文が、「QRコード決済」、「シェアバイク」、「オンラインショッピング」、「配車アプリ」、「SNS」、「宅配サービス」、「宅急便」、「高速鉄道網」、「地下鉄網」、「オンライン・ライブ中継」、「写真加工アプリ」などの、目先の物ならぬ、指先の物に捕らわれて書いていた。学生たちは、自分たちの前の世代にはなかった文明の利器を使えることをもって、「新中国の新魅力」としていた。正直なところ、これらは、「あぁ、そうですか」、英語なら「so what ?」で終わる話である。
  「よく考える」とは、よく聞く言葉である。この言葉は、中国における日本語作文教育上、重要な意味をもっている。これから中国を旅行しようとする日本人に対して、「中国の新しい魅力」として「アリペイ」や「シェアバイク」を紹介して、日本人が更に中国に行きたくなるものだろうか? 「学生たちは、そんなに深く考えていないですよ」と言うのかもしれない。それこそが、問題なのだ。「深く考えない」で作文を書いているのだ。
  昨年と一昨年の作文集には、指導教師たちによって書かれた「私の日本語作文指導法」が収録されており、多くの先生方が「考える力」を育てることに力点を置いている。私も、作文指導の際に、「考える作業」を最重視している。それは、単にアイデアを出し合う思考の訓練やブレインストーミングだけではない。相手の考えや意図を読み取り推察する能力の向上も含んでいる。作文コンクールの場合はこうである。出題者の意図はどこにあるのか? テーマが求めているものは何か? そして日本人だけでなく世界の観光客が求めるものは何か? これら「他者感覚」を身につけ、相手の意図を読み取ることが肝心なのである。有り体に言えば、スマホ指先文明は「中国の魅力」を探す手段なのであって、作文テーマが求めているものではないのである。
  この点を見事に言い当てているのは、主催者の趣旨説明かもしれない。「これまで日本人や他の外国人にあまり知られていない、それを知ったらどうしても訪れたくなるような「中国の新しい魅力」をぜひ考えてみてください。そして日本語の作文を通して、日本人に大いにアピールしてください。」
  このテーマに応募があった2476本の作文の半数以上が、無批判に「指先上之中国」を書いていた。学生諸君に問いたい。君たちがアメリカ旅行をしたいのは、NYのデリバリーシステムを体験したいからなのか? アメリカの最新オンラインショッピングやアマゾンやグーグルの新サービスを体験したいからなのか? 決して「指先上之米美国(米国)」ではないはずだ。しかし、作文コンクール募集開始前に恐れていたことが現実となってしまった。つまり、学生たちは中国の最新文明の利器を題材として描き、そのことによって多くのチャンスを失ってしまったということである。
  昨年の「あとがき」で私は、このような事態を懸念していた。「審査する側からすれば、皆が同じことを書くならば、もっと別の事が書かれている作文を探したくなるものである。逆の立場(日本人)で考えてみよう。「中国に行って買い物以外にできること」は何だろうか。北京、上海、広州、故宮、長城、パンダ、四川料理、餃子、北京ダック、烏龍茶、寺、東方明珠等々。もしこれだけが中国で買い物以外にできることだとしたら、何か物足りないと思わないだろうか? 多くの作文は、表層的な日本旅行に満足してしまっていた。」残念ながら、私の心配は現実のものとなった。
  だが、ここで私が強調したい真のポイントは、平凡な内容の作文が落選したということではない。そうではなく、中国の深い魅力を理解し、再発見し、失われゆく記憶を書き残し、日本人に熱く紹介してくれた若き学生たちがいるという証拠を、本書の中の随所に驚くほど多く見出すことができるという点である。


第二テーマ:「日本語教師」

  近年、中国の各学校で日本人教師が不足している。日本人教師の存在は、ますます希少になっている。ある人は帰国し、ある人は転職し、ある人は更に条件の良い学校へ移籍している。日本人教師が全くいない地域も増えている。学生たちが、素晴らしい日本語教師と出会う機会は、ますます減少している。
  「中国人の日本語作文コンクール」の醍醐味の一つであるテーマ「日本語教師の教え」は、日本と中国の民間交流の最前線で紡がれている「縁」である。上手にコミュニケーションできずに苦悩している学生を優しく導く教師の姿、スピーチ大会の準備が上手くいかず落ち込んでいるときにそっと手を差し伸べる教師の姿、夢や希望や前向きに生きる素晴らしさを説きながらも最後の別れができず去って行った教師の姿、様々な師弟関係が描かれている。
  日本語教師を取り巻く環境はますます厳しくなっている。他のどんな教師たちよりも学生たちに寄り添い熱く指導する日本語教師たちの姿を、学生たち自ら書いた作文以上に説明できようか。日本人に限らず中国人も、そして世界中の方々も、この作文集に収められた学生たちの作文を読んでいただきたい。日本語教師たちが、日本を深く理解してくれる若者を世に送り出そうと無心に教えている姿に心打たれるであろう。
  日本語教師は、自分自身を通じて日本を体現し、中国での日本理解を広げ、知日親日家を育てる「非公式日本親善大使」或いは「民間外交官」なのである。彼らのおかげで、「政府同士の関係は分からないけど、私たち一人一人の日本人中国人は共感できる」物語を語り継ぐことができる。学生たちの作文に描かれていることは、まさにその物語なのである。


第三テーマ:「「日本語の日」にできること」

  今回の作文コンクールのテーマの中で、最も野心的な試みはこのテーマだっただろう。多くの学生たちは、日本僑報社の段躍中氏が立ち上げた12月12日「日本語の日」に、全国日本語コーナーや日本文化体験イベントなど、様々な取り組みを企画・計画していた。中には、近年急速に発展しているIoT(Internet of Things)を利用した取り組みを提案して、日本人観光客への利便性を改善する活動の提案も見られた。各方面の様々なアイデアを応用して適応する学生たちの作文内容に、一人の審査員としても一人の教師としても、私自身、学ぶ事が非常に多かった。
  2017年の今年は日中国交正常化45周年であり、翌2018年は日中平和友好条約締結40周年でもあり、日中両国の各地で様々なイベントや催しが企画開催されている。これらのイベントに、日本語科に所属する学生たちだけでなく、日本語専攻ではないが日本に関心のある学生たちも、様々な形で参加していることだろう。美食、アニメ、伝統芸能、さまざまな技芸、日本語・中国語コーナー(サロン)、日中若者交流会、各地で様々な催しが行われている。2017年と2018年は様々な交流イベントが行われるだろうが、その後はどうなるのであろうか? 一過性の行事で終わらせてはならない。日本と中国は、古代より交流のある隣国であり、これからも未来永劫交流の続く隣国なのである。そういう想いから、この「日本語の日」は構想されたに違いない。
  かつて李延寿の『南史・陳後主紀』に現れた「一衣帯水」は、隋の皇帝文帝が揚子江で隔てられた両岸の民を救う言葉として使われた。日本と中国は、海で隔てられ、アジアと西欧といった近代の文明概念に捕らわれて隔たってはいるが、多くの人は「一衣帯水」を呼びかけ願っている。「日本語の日」は、その呼びかけに答える一つの「回答」ではないだろうか。そして、それを推し進めることができるのは、不確かな未来さえも愛すことのできる若者・学生たちだけだろう。ケ小平の言葉を借りるが、多くの大人たちには「知恵が足りない。次の世代は我々よりもっと知恵があるだろう。」新たな知恵を出してくれる若者に期待している。どのような知恵が出てきたかは、本書をお読みいただいて、各自何かを感じ取っていただければ幸いである。


3.
  昨年の「あとがき」で私は、作文の様々な問題点を指摘した。特に「募集要綱」、応募ルールに関する指摘は、新たに読む読者のためにも極めて重要な事なので、以下に再掲載させていただく。

  「中国人の日本語作文コンクール」は、学生と教師の共同作業の結晶である。このことを、学生と教師双方が、今一度熟考し、腑に落としていただきたい。すなわち、作文応募に関わる作業において、小さなミスが学生のチャンスの芽を摘んでしまう点は、決して大げさでも小さなことでもない。それ故、応募ルールの順守は、どんなに強調してもし過ぎることはない。どんなルールがあったのか、今一度思い出していただき、審査員として気づいた点を記録しておくことも、必要なことだと思う。最も多かったのは、毎年起こることだが、字数制限を守らない作文が多いことである。本作文コンクールの募集要項にはこうある。

  「横書き、全角(漢数字)1500〜1600字(厳守、スペースを含めない)」
  「字数は本文のみで計算してください(テーマ、タイトル、出典、スペースは含
  めない)」

  1499字は不可であり、1601字も不可であり、審査対象外になる。各種文字入力ソフトには、スマートフォン用アプリも含めて、文字カウント機能が備わっている。テーマや名前やタイトルや註や出典やスペースを除いた「文字数」を計算することができる。指導教師は、学生自身が計算したものを再度確認して、応募表エクセルデータに入力しなければならない。一字多くても一字少なくても駄目なので、教師は細心の注意を払って正確に入力しなければならない。
  日本語を学ぶ以上、細かいことに、枝葉末節の部分に細心の注意を払うことは当然と考えていただきたい。そして、相手のこと、読む人のことを考える心遣いも、また、必要なのである。募集要項の他の部分にはこうある。

  「作文の一番上に必ず、氏名、学校名、団体応募票での通し番号、テーマ(@ABのいずれか)、タイトルを記載してください(個人応募の場合、通し番号は不要です)。作文のファイル名は「団体応募票の通し番号―氏名」としてください(個人応募の場合、ファイル名は氏名のみで結構です)。」

  この文を素直に読めば、作文の一番上に「氏名、学校名、通し番号、テーマ番号、タイトル」の順で記入すると読めるだろう。そして、各作文のファイル名は、「11-王某某.doc」このようになるはずである。さらに、応募票には次のような記載もある。

「作文の最後に指導教師のご芳名を必ず明記ください(1本の作文につき最大2名まで)。」

「作文の最後」には指導教師の名前を記入する必要があることを、今気づいた方もいらっしゃるのではないだろうか。さらに、最大2名までという人数制限もある。言うまでもなく、3名は不可である。また、

「すべて日本語漢字、日本語フォントの明朝体で、英数字は半角で記入して下さい」

ともある。作文はゴシック体ではなく明朝体で入力しなければならない。原稿用紙の枡目使用について記載はないが、できれば無いほうがいいだろう。なぜなら、ファイルを開くアプリケーションによって(マイクロソフトワード以外も多い)、文字と枡目のズレが生じたり文字化けが起きてしまい、読みにくくなってしまうからだ。
  これは、学生よりも読解力のある日本語教師たちが、学生たちに周知させなければならない点であろう。募集要項を精読し正確に理解して実践することは、日本語を学ぶ者にとって必須であり、「ルール順守」に比較的厳しい日本社会文化理解へのステップだと考えていただきたい。
  以上のルールを厳守し、エクセル応募表を間違い無く作成することを含めて、当然のことながら、指導する日本語教師たちの責務になる。残念ながら、この一連のパッケージ作業に漏れやミスが多かったのも事実である。日々の授業や課外の作文の指導に加えて、細かい入力チェックをするというのは、非常に骨の折れる作業であることは重々承知している。だからこそ、常日頃から教室内外で、細かい点に気を付け注意を払う重要さを、諦めることなく学生たちに理解させなければならない。あらためて強調するが、募集要項を正確に読んで理解することは、学生と教師の双方ともに、作文コンクール参加の基本中の基本である。

  今回、敢えて指摘しておくべき作文執筆上の問題が一つある。多くの作文教科書や作文授業において、「形容詞」や「形容動詞」の使用を抑制するように指導されていると思う。それは、形容詞や形容動詞を不必要に多用することで、曖昧な文になり、読む人によって解釈が変わる可能性を極力避けるためである。だが、私が指摘したいことはそうではない。多くの作文に見られたのは、「大袈裟な表現」や「誇大表現」や「無駄な説明」が多かったことである。
  例えば、「頭の中で火山が爆発したかのようにアイデアが沸いてきた」、「見るからに物腰柔らかそうで可憐な花のようなウェイトレスさん」、「もう4月だというのに1月の刺すような冷たい北風が吹き付ける朝」。自分が見た情景を伝えたい気持ちはよく分かるし、多彩な表現を使いたい気持ちもよく分かる。しかし、小説と違って字数制限のあるコンクール作文では、簡潔明瞭な文が求められる。大袈裟な表現や不必要な表現を書けば書くほど、読者の理解は遠退いてしまう。読者に想像してもらいたいがためにサービス精神で書いた文章は、逆に、読者を遠ざけてしまうのだ。
  作文の要諦は、極力無駄な言葉を省き、具体的で簡潔明瞭な文を書く、である。これは簡単なようで極めて難しい。しかし、これも読者の立場になって考えれば分かることである。その意味でも、「他者感覚」を意識し身につけることは、大事なのである。

  今回の作文コンクール直前に発覚した「剽窃」問題は、我々教師や審査員の限界を露呈し、再考を促した。この点は、真摯にそして謙虚に反省し、再発を防ぐ対策を取らなければならない。特に近年、インターネットからのコピペ(コピー&ペースト)によって剽窃・盗作への「心理的ハードル」が極端に低下したため、誰もがあまりに気軽に気楽に剽窃をしてしまう傾向にある。ある国では、大学の教師500人余りが剽窃問題で一斉に処分されてしまった。範を垂れるべき大人がそうであるなら、学生たちに対してどうして「盗撮は駄目」と言えようか! この問題は、まずもって大人の問題である。できることなら私は、この問題に長々と触れたくはない。しかし、どうしても触れざるを得ないほど、深刻な問題なのだ。
  この問題は、教師、主催者、審査員、学生、全員でスクラムを組んで地道に取り組まなければならない。私は昨年、「調べれば分かる、読めばわかる、考えれば分かる」とうそぶいて書いたが、謙虚な精神で「分からない」と言わざるを得ないことを認めなければならない。今回の審査においても、正直なところ、コピーや剽窃かどうか判別のつかない作文も少なからずあった。願わくは、これらの作文が全部、学生自身が書いたオリジナルであってほしい。しかし、前述したように、剽窃への「心理的ハードル」が低い現実がある。更に、新しく赴任したばかりの日本人教師たちには、それらの作文が「素晴らしい作文」に見えてしまうかもしれない。それでもなお、私たちは、学生たちに対して、諦めることなく伝え続けなければならない、自分で書くオリジナルな作文の良さを。
  テクノロジーが解決してくれるのを悠長に待ってはいられない。そして指導には限界がある。ならば我々のできることは一つしかない。それは、有害コミック規制問題の時に炎の漫画家島本和彦が喝破したことの言い換えなのだが、コピーなんかよりも良い文章をバンバン紹介して、教師自ら良文をバンバン量産して学生たちに見せつけるのである。オリジナルを書いたときの素晴らしさや楽しさや感動は、「感動の格が違う」。我々はそれを示すべきなのだ。学生たちに対して、オリジナルを書いたり作ったりすることに「やみつきになっている」姿見せることこそ、何よりも大事なことなのだ。

おわりに

 「第13回 中国人の日本語作文コンクール」は、第12回に比して応募本数が減った。これは後退を意味するのか? 否、新たな始まりなのだ。毎年変化する作文テーマは、日中関係を様々な角度から学生に考えてもらい、新たな視点に取り組み、学生の成長を促している。このように常に新たな試みに積極的に取り組んでいるコンクールは、他にはない。だからこそ学生たちは、新たな知識を取り入れ、自ら考え、現代に目を開き過去を洞察し、その眼差しを未来に向けなければならない。
  「中国人の日本語作文コンクール」は成長している。そこに参加する学生たちも成長している。それを指導する教師たちも成長している。審査する方々も学び成長している。そしてコンクールを後援協力していただける方々が成長を見守り支援している。皆、薄々気づいている、量的な拡大よりも質的な進化・深化を伴った拡大が必要だということを。第13回の作文コンクールは、作文コンクールとしても日中関係を考える新たな視角というでも意味で、新たなスタート地点になったと、きっと後世の人々は語るだろう。一教師として、一審査員として、そして一読者として、そのような機会に立ち会えたことを大変光栄に思う。

今回も、日本僑報社の段躍中氏には、多くの作文を審査する貴重な機会を頂いた。深く感謝して、筆をおきたい。




瀬口 誠(せぐち まこと)
鹿児島県出身。久留米大学大学院後期博士課程修了。雑誌編集者や高校教師な
どを経て、2013年より山西省運城学院、2017年より湖南省長沙市の湖南大学
外国語学院講師。

 

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