書くことは「考える」こと
同済大学 池嶋多津江
 

 書くことは「考える」ことである――私が作文の授業において、繰り返し、学生たちに説いていることである。ある光景を見て、何かを感じ、そして、考えれば、自ずと心の中から「ことば」が湧き上がり、それを書き留めておきたくなる。社会的な事象を目にし、あるいは耳にし、そのとき考えれば、自ずと社会科学的に分析し、それを文章化したくなる。書き留めた「ことば」はその人の「感性や人生観」を豊かにし、分析、思考した結果生まれた「文章」はその人の「思想」になっていく。「考える」ことは自ずと人にペンを執らせるのである。

 私が作文の授業において、まず、学生に求めることは「自分を知る」ことである。「自己分析」といってもよい。「感じ」「考え」「書く」主体は「自分」である。「自分」を知らずして、文章を書くことはできない。私たちは日々、無意識のうちに、「ことば」で感じ、考え、伝えるという行動をしているが、感じるのも、考えるのも、伝えるのも、その主体は「自分」であり、「ことば」を選ぶのも「自分」である。「書くこと」は「自己表現」そのものと言えよう。

 学期初めに必ず書かせるテーマは「自分の名前の由来と私の人生観」である。名前は自分を象徴するものであり、他者と自分とを差別化して、自己認識するのは「名前」によってだからである。学生たちは自分の名前の由来、親がその名前に託した「願い」を再確認し、さらに、自分が名前によって無意識に規定されてきたことに気づき、このテーマで文章を書く過程で、自ずと自己分析をし、自分のそれまでの生き方を振り返り、自分の未来像を描き始める。書き終わる頃には、学生たちは皆、自分や自分の未来に対して「肯定的」になり、表情が輝いてくる。なんとも嬉しく、不思議な時間が経過していくのである。若い学生たちにとって、自分の名前について「考える」ことは「未来を描く」ことにつながっていくようである。
 その後、テーマは「私の故郷」「私はどうして日本語を学ぶのか」「私の職業観」と続き、アイデンティティーの基盤となっている「自分が生まれ育った場所」「学問的立脚点」「将来への展望」へと思考を展開させていく。これが私の作文の授業の〈1st Step〉である。〈1st Step〉が終わった段階で学生たちはかなり、「自分について知る」ようになってくる。文章もだんだん自信をもって書くようになってくる。「自分が何者であるか」を知ることにより、「主体性」が自ずと身についてくるのである。

  〈2nd Step〉では〈賛否の意見を述べる〉練習をしている。〈1st Step〉で自分の立脚点が確認できたところで、自分を取り巻く社会の様々な事象について社会科学的な視点から「考える習慣」を身につけることがねらいである。賛否の意見を述べるための段落構成(立場の表明→
理由→対立する立場への反対理由→結論)を教えたあと、社会科学的に分析して思考し、自分の意見を論理的にまとめ、表明する実践練習をさせている。文系の学生にとって社会科学的なものの見方、分析、考え方は苦手のようであるが、このような学問的姿勢は、これから社会の
中で職業人として生きていく際に必要不可欠な姿勢である。この視点が欠けていると、「生き方」の舵取りを間違えることもあるからである。
 この時期になると、学生たちは文章を書くことに抵抗がなくなり、というよりも、文章を書くことによって「自己表現をする楽しみ」を知るようになる。教師の側も、添削する苦労よりも、学生たちの視座や自由な発想に驚くことが多く、読むのが実に楽しい。作文はクリエイティブな活動である。特に語学を学んでいる学生は、日々の授業の中で、自分の考えを「発信」する機会が少ないので、作文の授業は貴重な「発信」の機会と言えよう。

 〈3rd Step〉の〈小論文を書くための第三ステップ〉の前にいつも取り組んでいるのが、〈パラグラフ・ライティング〉である。TS(設定したトピックについて一番主張したいこと、つまり、結論あるいは要旨を述べる)→SS(結論について根拠を述べ、証明・説明する)→CS(結論の確認)の書き方を習得することによって、論理展開が格段に明確になるからである。
 学年の後半で取り組むのが〈3rd Step〉―〈小論文を書くための第三ステップ〉である。〈ある意見について、その理由・原因を考えた上で自分の意見・解決策を述べる〉練習をしている。段落の構成の仕方(@課題についての事実関係の確認と現状分析・その原因→ A課題に対する自分の意見・理由→ B結論)について学ぶ。実際に取り組んだテーマの一つは「『就職後数年で会社を辞める若者が増えているのは問題だ』という意見がある。なぜこのような意見が出るのか検討した上で、この意見に対するあなたの考えを述べなさい」というものである。テーマを設定する際は、現状分析をして考えることが自分の生き方と密接に関わるものを選択している。「すべての人は勝ち組と負け組の二種類に分けられるという意見がある。なぜこのような意見が出るか検討した上で、この意見に対するあなたの考えを述べなさい」というテーマについて、学生の考え方を書かせたことがあるが、学生たちが優秀で、大学に入学するまで「負け」を経験したことがなかったのが、不安と同時に驚きであった。

 最後は〈4th Step〉――〈小論文を書く〉である。小論文の構成を説明した後で、「中国における『情報化社会』の問題点」について小論文を書かせた。時間による制約があるので@序論(事実関係・現状分析)⇒ A本論(調査結果の提示/具体例の提示/問題点の明確化/問題点に対する自分の意見・解決策など)⇒ B結論(将来への展望を含む)の段落構成で書かせた。〈事実の確認と現状分析→思考→結論〉の習慣が確立されてきているので、説得力のある小論文を書くことができるようになっていた。間もなく卒論を書く時期が来るが、どのような卒論が完成するのか楽しみである。

 この一年は、自分についても、社会のさまざまな事象についても、とにかく、「『考える』ことを習慣づける」ことを授業の中心に据えた。同時に、人間は「ことば」で感じ、「ことば」で考え、「ことば」で伝えるので、「ことば」の重要性を訴えた一年でもある。多くの「ことば」を知ることで「感性」が豊かになり、「共感」の幅が広がり、「思考」が深まることを強調した。また、「ことば」は人間の在り方やものの在り方を規定する役割も果たしていることも強調した。同じ光景を見ても、同じ事象に直面しても、それを描写する「ことば」は人によって異なり、その「ことば」によって、その人の人間性や価値観、人生観、世界観が如実に表れる。従って、ことばの選び方には慎重であってほしいということも説いて聞かせた。「世界は言葉でできている」と誰かが語っていたのを聞いたことがあるが、「人間は言葉でできている」とも言えるのではないだろうか。

 「文は人なり」――まさに言い得て妙である。作文指導は「日本語教育」の集大成である。


[略歴]
池嶋 多津江(いけじま たつえ)
津田塾大学 学芸学部 国際関係学科(国際法)卒
三菱東京UFJ銀行外国為替課 (在職中は「東京銀行」)
The Bank of New York Mellon 東京支店外国為替課
私立高校英語科教諭(2011年定年退職)

[日本語教師指導歴]
Emilio Aguinaldo College (Manila, Philippine)
東京ワールド外語学院
秦皇島市実験中学(別名:河北秦皇島外国語学校)日
本語学科 外籍專家
早稲田言語学院
2015年〜現在 同済大学外国語学院日本語学科外籍專家

 

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