「⚪︎⚪︎を好きですか」と格助詞「が」でなくて「を」を使ってはいけませんか?」
「理由や原因を表す接続助詞「から」と「ので」はどう違うのですか?」
高校の国語教師だった私は、神奈川県から派遣され1986年に北京にやって来て2年間日本語教育に携わった。その時に学生から上のような質問を沢山受け、すっきり説明できなかった。日本人なのにと悩んだ。この経験がきっかけで、オーストラリアに留学し、「言語学」「日本語教育」を本格的に勉強し、博士号を取得し、再び中国に戻った。
2007年に湖北民族学院で働いた。そこでは学生がその能力を内外で発揮できる場がなかった。その時に僑報社の「第四回作文コンクール」を知り、応募させた。幸いなことに一人が三等賞に入った。機会を生かせて良かったと思った。
ここでは、現実を知っていただくために、この第11回コンクールに向けて、実際に行った指導をそのまま書くことにした。
作文の添削は大変。膨大な時間と大きな“想像力”が必要だ。学生が初めて書く作文は日本語になっていない。2年生後半になって初めて作文の授業がある。
今回は、希望者だけでなく、2クラス全員50人を超える学生に応募を働きかけた。原稿用紙4枚の長さは彼らにとって初めての体験だ。
「せっかくの機会を生かすかどうかは君たち次第だ。今がチャンスだ。初めてでもチャレンジしてみよう!
チャンスは…、はいっ」
と言うと、「前髪にあり」と多くの学生から声が返ってきた。会話の授業で「チャンスは前髪にあり」が出てくる。学生がすぐ覚える言葉だ。
「その通り。今がそのチャンス。ぜひ、取り組んでほしい。」
続けて、
「日本って、変だ。日本語って何か変。日本文化って、わからないところがある。そんなことをまず隣の人と話してみてください。」
学生は指示通り、よく話す。
「では次に、周りの4人で話してみてください。」
「話をやめて。はい、グループごとに、日本、日本語、日本文化、日本の習慣など、変だなあ、理解できない、ということを2つずつ出してみて」
すると、どんどん出てきた。
まず、言語では、「結構です」の曖昧性、中国で薬は「食べる」なのに日本語では「飲む」という。「いただきます・ごちそうさま」という言葉があるが、中国語にはない。
食生活では、日本人は麺類やスープにも音を立てるが、中国では顰蹙。箸は、日本の場合、横に置く、短い、先端がシャープ。中国の箸は縦に置き、長く、先端には丸み。あのまずい味噌汁を毎日食べるなんて。
住環境では、家庭の風呂が一人ずつ、お湯を替えないで、シェアする。変!日本のトイレはどうして綺麗なの?
立ち居振る舞いでは、時間に厳しい、トイレの中でご飯を食べる、いじめがある、割り勘が不思議、友達になっても電話連絡が日本人からは少ない(中国人は頻繁に連絡する)、手紙や年賀状をよく書く、自殺者が多い、年齢にうるさい(コナンのサブタイトルに年齢。ドラマでも年齢を言う場合が多い)、遅刻すると中国人は理由を言うが、日本人は謝って言い訳なし、バレンタインデーの義理チョコは変、チョコは恋人に贈るもの。
さらに、仕事面では、専業主婦がどうしてあるの、女性が仕事を持つのは当たり前。女性がいつもスカート、特に冬にスカートなんて。女性の化粧。目に悪いコンタクトをつける、男性が髪にポマード、ミスキャンパスの女性への美が、中日で全然違う。
これは面白い。彼らの生の声だ。意外なものまで出た。この生の声を日本語で届けたいと思った。
「では、今日の残りの時間は、今話題に上ったこと、あるいは、まだ出ていないことでも構いません。遠慮なく書いてください。」
原稿用紙を左右に刷ったA4の紙を2枚配った。
「原稿用紙4枚に、挑戦しましょう。日頃気になっていることをぶつけてみよう。遠慮はいらない。同じように思っている人もいるかもしれません。」
この日は金曜日。書く時間は25分くらい。残りは、宿題にして、火曜までに提出することにした。原稿が集まった。遅れたのは2人だけ。その日から、私には地獄のような“フルフル”タイムの毎日が始まった。
私には作文を含め週14時間授業がある。5月から6月初旬にかけてイベントが特に多い。アフレコ大会(大学の学生会が主催=私は審査員)、スピーチ大会(北京地区の予選。代表者を指導)、プレゼンテーション大会(学内のイベント。原稿チェックなど)、朗読大会(北京教師会。双学位5人の指導)、この作文コンクール(60人弱)。空いた時間は授業準備と作文のチェック。昼休みは、イベント指導の時間。五月、昼食は食堂に行かず、朝作って持参したサンドイッチとネッスルのコーヒーとなった。
作文のチェックは日本語だけに限定した。学生と話しながら、内容をいいものにするために、引き出して書かせて行く、という方法は採れなかった。時間がない。2年生だけで50数人。原稿を読み、日本語らしく添削するのに、少なくとも一人30分要す。一人終わるや、はい、次、はい、次、というように見て行く。「少しずつ見ていけば必ず終わる」「終わらない仕事はない」と言い聞かせる。「うーん。何が書いてあるのか。わからない。うーん」「曖昧な日本語?
本当か?」「友達になりたいのに、日本人はメールもくれない。中国人は出しているのに」「中国で子育ては祖父母にかかっている。そうか、そうか」と独り言の連続。
翌週の授業に返却を目指したが、添削は終わらない。授業はメールの書き方や構成法など、計画に沿って進めたい。授業の中でコンクールのことを扱う余裕がない。返却は翌々週となった。土曜も日曜も添削で、まる2週間かかった。返却するや、学生は複雑な顔をした。こんなに間違いが多かったのかと。赤いボールペンの文字の多さに驚いたようだった。
授業では、「大学に入って勉強をして以来、もうすでに2年間になる。」「嬉しいだ、行きたいだ」など典型的な誤用を示し、理解させる。次に、返された原稿から、間違いや発見を確認させる。次は、隣の人や、その前や後ろに人と発見や間違いをシェア。そして、各グループでシェアしたものを二つ発表させ、日本語の表現を順次理解させ身につけさせて行く。この方法をMS(Mutual
Stimulation 相互刺激)アプローチと命名。相互に刺激し合い、シェアすることは効果的な方法の一つだ。
「また、宿題にするけれども、返却したものをワードで書き直し、意味不明とある箇所はわかるように直し、提出すること。締め切りは、次の火曜日」
期待通り、全員が提出。コンピューターの画面を見ながら、どんどん送られて来た原稿チェック。必要な者とだけ連絡を取り合う。原稿用紙の場合と同様、コンピューター画面でも一人30分かかる。特に心したのは、「できるだけ、生の声」を大切にし、訂正は日本語として読んで伝わることに徹した。あくまで学生の作品、必要以上には手を入れない。
こうして、5月の締め切りギリギリに応募者全員56人のチェックを終え、30日に事務局に送ることができた。
中国は通算10年になるが、学習者が変だと思う事柄がこれほど多くあるとは思わなかった。特に、多くの学生が日本語も日本人も曖昧、と受け止めていて、その曖昧さは相手を思いやることから生まれるのだと受け止めていることにも驚かされた。彼らの指摘の中には誤解や無知が原因の場合もある。いい指摘もあれば頷けないこともある。理解しえないことがあるのは当たり前のこととはいえ、それを寛容に、かつ、自己反省をしながら、再発見して行く作業は楽しいものだった。