「日本語らしい日本語を書きたい」という気持ちは日本語を学ぶ学生一人一人が抱いているであろう。
一篇の文章を産み出すには多くの苦悩が伴う。「日本語作文」は通年の授業として三回生のカリキュラムに組み込まれており、仮に最終的な目標到達レベルを掲げるとすれば、それは「可能なかぎり忠実に自身の思いを再現できるようになること」であろうか。それを手助けしていくのがぼくの仕事だと思う。
そうはいったものの、実際には院生受験や就職について迷い始める時期でもあり、じっくりと腰を落ち着けて作文を書くことはなかなか難しい。従って「作文なんか面倒だ」と考える学生は少なくない。そこで文章を書くことの面白さを説くことから始める。これが一つ目の仕事だ。
まずは小説家や学者といった、所謂文章のプロがどのような考え方を持ち文章をものしていくかを話すことからはじめる。例えば村上春樹の「地下二階の小さなドア探し」や「井戸掘り」の話、またはデビュー作一句目から「完璧な小説など存在しない」と言い放ち衝撃を受けたこと、更には安倍公房の「夢と創作」の逸話や「川端康成がノーベル賞を受賞した後になぜ作品を発表しなくなったのか」、「莫言はなぜ書き続けることが出来るのか」、「なぜ小説家には自殺者が目立つのか」等の話をし、理想とする作文の姿を皆に考えてもらう。
心の準備が整ったら次は具体的に筆を動かすことになる。指定の教材はないので、第一学期は毎週、様々な文章の形式を練習し筆を慣らしていく。具体的には、まず日本語の文章に共通する形式や符号の再確認を行い、続いて一、二年生の時に飽きるほど書かされてきた感想文から入り、意見文や手紙、記事、ポスター、電子メール等の書き方へとすすめる。前者三種は自身の気持ちを素直に表現することを大切にし、後者は実用文書の書式やそれに相応しい言葉づかい等を学ぶ。細かな説明は省き、率先して日本語資料室や図書館へ赴き関係する参考書物を紐解くと同時に、名著を読み作文のための栄養分を蓄えていくことを勧める。名著を読む理由は簡単で、本を読まない人が文章を書けるようになるはずはないからだ。特に図書館や日本語資料室は宝の山であり、ぼくが口であれこれ説明を加えるより何倍も役に立つ。その中で「このような文章を書きたい」と思える書物に出会うことが出来たらしめたものだ。ある学生は川端文学にほれ込み全集を読破した。そのことが直接彼女の作文作成によい影響をもたらしたことは言うまでもないだろう。
読書を通じて各種の文体の形式や表現方法等を学ぶ。また手を動かすときには、中国語で考えてから日本語に訳していくのではなく、頭の中に日本語システムを樹立させることの必要性を強調する。翻訳の場合どうしても中国語に「引っ張られてしまう」からだ。直に日本語で考えることで拙く、多くの文法的な誤りが存在するも、やや日本語らしい文章になる。これが第二段階だ。
この時、彼らに念を押す。それは自分の著した文章には必ず責任を持つことだ。毎週授業の二日前に提出してもらい、添削を加え、授業中に一人一人の作文について討論していく。その時に、「内容はもう忘れてしまいました」と言ってはいけない。授業では主に、一人一人の作文に対して、意味の通じない個所について「一体何が言いたいのか」、「なぜこのような文法の間違いをしてしまったのか」等をクラス全体で話し合う。そこからクラスに共通する問題点をあぶり出し、修正を加えていく。更にクラスメート同士で添削し合い、真剣に何度も推敲する必要を説く。季羨林先生は晩年、病床で口述したものを助手の方が書き記していた。その際に「3000字くらいなら推敲しなくても大丈夫だ」と仰っていたが、僕たちはそうではないこと。漱石や志賀直哉等の原稿の複製を見せ、文豪でさえ脱稿の際には容貌が一変していることを伝える。
「自分の書いたものには責任を持つこと」。これは口を酸っぱくして言い続けている。
春節休み前には、恒例の作文コンクールの課題が発表されるため、休みの間に構想を練ってもらい、後期一週目の授業で意見発表を行う。彼らの意見を尊重しながらも「テーマからずれていないか」、「書ける内容かどうか」等を皆で検討し、微調整を加える。コンクールに出品する作文の制作はマラソンのようであり、学生たちは体力と気力を振り絞り、与えられた課題や字数制限に苦しみながら取り組んでいく。すると、「もう言いたいことは書き尽くしましたが、字数が足りません」、「何度も考えましたがどうも内容が面白くありません」等の悩みが出始める。そこで欠かせないのが栄養補給だ。これが第三段階、即ち後期の主な仕事となる。
補給は作文コンクールの作品制作と並行しながら、短文を用いて表現力を磨く練習を行う。谷崎純一郎や野間宏の『文章規範』や『文章読本』といった本を読むことを勧め、一つの内容を表わす時にも、様々な言い回しの中から自分が伝えたいニュアンスを模索することの大切さを伝える。そして観察したものを表現する練習を行う。例えば、「教室の窓から見える景色」、「隣の席のクラスメートの顔」等について細かい描写が出来るように練習を重ねる。ディケンズは窓辺の景色に何ページも用い、竹添進一郎が描写した清国は李鴻章を脅かすほどであったのに、なぜ自分たちは300字も書かないうちに詰まってしまうのかを考える。そして描写の対象を徐々に「見えるもの」から「見えないもの」、即ち写実的なものから感覚的なものへと移行し練習を続ける。
一定の観察眼を身に付けることで、「文字数の不足を無理やりに足していく」のではなく、「溢れ出す文字の渦をどのように制限字数内に収めるか」に重点を移せるようにしていき、最後にはこの短文練習をマラソンに応用させる。学生にとっては初めてとなる日本語を用いた長文制作となるので、チェーホフの銃を例に「出現した一つ一つの文字がそれぞれに意味を持つ必要がある」ことを強調する。彼らは時間いっぱいまで推敲を重ね、自分の伝えたいことを可能な限り正確に書き連ねていく。このように作文コンクール出品作は完成していく。
作文は非常に個人的な作業であり、個人の努力で読書を重ね、推敲を重ね、書作を重ねるしかない。そこにマニュアルや特定の指導法は存在しない。言葉づかいから句読点の打ち方、全体の結構まで人それぞれであり、絶対的な評価は存在しないと思う。
「いい成績を取れるようなものを書く」必要はなく、要は内容の上で「自分が納得できるもの」を書けたら、それで御の字ではないだろうか。
授業という狭い枠の中でぼくがやれることは、文章を書くことの苦しさやその後に待っている達成感や爽快感を知ってもらうこと。話し合いや確認作業を繰り返す中で、彼らが表現したいものを彼ら自身の手で、可能な限り眼前に再現できるように手伝うことくらいだ。