━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

日本僑報電子週刊 第621号 200737日(水)発行

http://duan.jp 編集発行:段躍中(duan@duan.jp

■段躍中日報 http://duan.exblog.jp/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●劉徳有著『わが人生の日本語』刊行特集●

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★日中国交正常化35周年・日本僑報社創業10周年記念出版★

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

編者より

 

「疾病」を「しつびょう」と読み、シッペイ(失敗)した著者に、思わずクスリ ――この本は、そんなユーモアに満ちています。

 

このたび、劉徳有先生の最新著書『わが人生の日本語』を日本僑報社から刊行いたしました。http://duan.jp/item/039.html

 

五十数年もの間、日中関係の仕事にたずさわってきた筆者が、日本語の学習と探求を通して、日本文化と日本人のこころに迫る好著であります。

 

劉徳有先生は、大連に生まれ、「満鉄」が経営する幼稚園に通ったことを契機に幼いころから日本語を学び、翻訳の仕事に携わっていきます。本書では、どのようにして日本語を身につけ、また、それぞれの時期にどんな気持ちで日本語に接し、かかわってきたか、筆者の歩んできた人生と結びつけてまとめられています。

 

困難に直面したことも少なくはなく、翻訳に失敗したことも。しかし、その苦労や思いを語りながらも、「シッペイ」したと楽しい語り口で述べる筆者に、思わず笑いがこぼれます。

 

そして、失敗を繰り返しながら日本語を習得し、毛沢東や周恩来の通訳などを務めた筆者が語る、日中における歴史に欠かせない現場の模様や、今後の日中関係に対して提言する筆者にぐいぐいと引き込まれます。

 

また、中国語を学ぼうとしている読者の皆様、日中の歴史を学ぼうとする読者の皆様にとっても、お薦めさせて頂きたい一冊であります。日中の歴史を通訳を務めた筆者の視点から眺めながら、筆者が翻訳に苦労した点(例えば俳句をいかに訳すか。など)を会得していくことができると思います。

 

大江健三郎氏推薦の話題作『日本語と中国語』(講談社)の著者による本書。是非ご一読賜りますよう、お願いいたします。

 

段躍中@2007.3.7 

 

 

◆特集目次◆

 

【内容紹介】

  日本語の学習と探求を通して日本文化と日本人のこころに迫る好著

【おわりに】

  満五歳から七十歳を超える現在まで日本語にかかわりをもってきた

【目  次】

  なぜ「柿食えば鐘が鳴る」?/ある意味での異文化・・・

【著者紹介】

  一九三一年七月二日中国遼寧省大連に生まれる・・・

【書誌データと注文先】

  http://duan.jp/item/039.html

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

【内容紹介】

 

幼いころから日本語を学び、五十数年もの間、日中関係の仕事にたずさわってきた筆者がどのようにして日本語を身につけ、また、それぞれの時期にどんな気持ちで日本語に接し、かかわってきたか?とりわけ、長年の翻訳の仕事と、毛沢東や周恩来の通訳を務めるなかで、失敗を繰り返しながら日本語を習得した経験などに触れ、楽しいエピソードをまじえて現場の模様を紹介。

 

中国語を話し、中国文化に育てられた筆者が、できるだけ日本人のこころを知るために努力し、比較文化の角度から日本語と日本文化を掘り下げて探求した過程を、自分の歩んできた人生と結びつけてまとめたのがこの本である。

 

二十一世紀に入った今後の中日関係を考えるとき、国交回復時に確認しあった原点に立ち返り、国民間の相互理解と信頼の増進を課題とすべきであり、そのキーワードは友好・協力・平和・発展でなければならず、非友好・非協力・反目・敵対であってはならないと、筆者は強く訴える。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

おわりに

 

この本は、先般日本で出版された拙著『日本語と中国語』(講談社)と同じく、日本語による書きおろしである。執筆にあたってわが身を振り返り、満五歳から七十歳を超える現在まで、ずっと日本語にかかわりをもってきたことに、今さらながら不思議な気もする。私の日本語とのかかわりは、前後二つの段階に分けられる。

 

第一の段階は、生まれ故郷の大連で日本の植民地主義者の学校教育として、受け身ではあるが日本語を勉強した幼少年時代。第二の段階は、新中国が誕生して間もないころから対日関係の仕事にたずさわり、日本語と切っても切れない生活を送るようになったこの半世紀である。

 

しかし、第一段階から第二段階への移行には私なりに、感情面での切り替えが必要であった。

 

五十数年間も対日関係の仕事をしてきた私は、二十一世紀に入った今後の中日関係を考えるとき、そのキーワードは友好・協力・平和・発展でなければならず、非友好・非協力・反目・敵対であってはならないと思っている。これは中日両国人民の願いであり、目指すべき目標でもあろう。いま両国関係は改善の方向にむかって発展しつつあるが、残念ながら、政治や外交の面で一時冷え込んだこともあった。

 

世界の未来を展望するとき、長い目で見た中日関係にはもちろん悲観する必要はないが、正直言って三、四年前に両国の間に目立った摩擦が気にかかる。日本の一部の為政者の歴史認識とA級戦犯を祀っている靖国神社参拝が最大の障害となったことは言うまでもないが、最近になって中日関係に新しい転機が見られるようになったことは喜ばしい。このようなプラス要因が今後も伸びることを切に望んでやまない。

 

この本では中日文化の共通点、相違点などを取り上げてみたが、ここでは、両国の間に横たわる歴史認識を文化の面からどのように見ればよいかについても考えて見たい。

 

中日両国には、たしかに不幸な歴史があった。この不幸な歴史を、文化面でどのようにとらえるべきだろうか?

 

この点について、ハーバード大学の入江昭教授は月刊『外交フォーラム』に発表した論文『文化と外交』の中で、いみじくも次のように言っている。

 

「日中関係においていわゆる歴史認識の問題が常に表面化するのはその一例である。識者の中には、この問題を防衛や貿易問題に帰属させて、中国政府は日本からより多額の援助を引き出すために、過去の戦争のことを持ち出すのだとか、日本の教科書がこの戦争をどう取り扱っているのかについていちいち口出しをするのは内政干渉だとかいった意見を持っている者も少なくないが、そういった見解は、国際関係における文化的側面を軽視している。中国人にとって、十九世紀以降の歴史は屈辱の歴史だったという認識が国家成立の根幹をなしており、これに対して無神経でいれば、いつまでたっても日中関係は発展的に飛躍することはないであろう」と。

 

入江氏の上述の論点は、国際関係のなかの「文化的側面」をおろそかにすべきでないということを強調している。「文化的側面」とは何か? また、十九世紀以降の中国の近代史とはどんな歴史だったのか? それは、日本をも含めた帝国主義列強が中国を侵略し、中国がさいなまれた歴史であった。入江氏が指摘された「文化的側面」は、そのものずばり、問題の核心をついていると考える。

 

中日間の歴史を云々する時、つぎの三つの特殊な段階を正しく把握することが大切であるように思われる。一つは、二千年以上の長きにわたる友好交流の歴史であり、いま一つは、日本軍国主義者による中国侵略の歴史である。三つ目は、戦後六十年近くの間、草の根活動を含めた両国の人民大衆が中日関係の発展のために奮闘努力しつづけてきた歴史であると思う。「歴史を鑑にする」という場合、当然この三つの段階を指すべきであろう。

 

第二段階の不幸な歴史は、第一段階の友好の歴史に比べて短期間ではあったが、両国人民にもたらした災難は大きく、中国をはじめアジア諸国の人々の心に残した深い傷痕は決して抹消できるものではないし、風化されていい問題でもない。一口に言って、常に正しい歴史認識を持ち、「歴史を鑑として、未来を志向する」ことが必要であろう。

 

さて、歴史から現在に目を向けるとき、改革開放を推し進める現在の中国にとって必要なのは、ほかでもなく自国の社会安定と周辺の平和と安寧であり、したがって中国は今後とも平和外交政策をとりつづけ、世界平和を追求していくであろう。このところ、お隣の日本から「この道はいつか来た道」を思い起こさせるような動きを心配する声がしきりに聞こえてくるが、日本が戦後歩んできた平和発展の道を今後も歩みつづけるよう切に望んでやまない。世界経済のグローバリゼーションの進むなか、アジアにおける重要な課題は各国の近代化の実現と多国間協力の推進であろう。しかし、現実のアジアの情勢を見ると、地域協力はヨーロッパや北米に比べて、ずっと立ち遅れている。アジアの大国としての中日両国の友好協力は、アジアの平和と発展にとって非常に重要であることはいうまでもないが、両国は共生とともに、共同発展、共同繁栄を図り、二十一世紀のアジアのためにもっと「共同貢献」していく道を積極的に模索し、実行に移していかねばならないのではなかろうか。それが理想的な姿であると、私は思う。

 

この本では日本語についていろいろ触れたが、日本語になくて中国語にある言葉で、「諍友」というのがある。「言い争う」とか「諍い」の意味はまったくなく、お互いにどんなに言いにくいことも言い合える仲のことだが、中国と日本は、まさにそうゆう仲であってほしい。

新旧世代の交代期にある今、このような関係を打ち立てるためには、人民間の相互理解と相互信頼の増進が大きな課題となろう。国交回復時に確認しあった原点に立ち返り、とりわけ若者たちのあいだに互いに信頼しあい、厳しい試練にもたえ得るような、「情」に重きを置いた人間関係を築くことが求められている。相互不信をなくすには、先ず相手を知ることが大事であろう。

 

人類は互いに隔たりがなく、関心を寄せあうことに越したことはなかろう。然るに、最も平坦な道は文化芸術によって疎通をはかること、ただそれだけである。

 

魯迅のこの言葉は、心と心のふれあいを重んずる文化交流の重要性を強調したものだと私は理解している。

 

中日両国は社会体制が異なり、文化的背景も違い、それぞれの国民の思考様式、精神構造、心理状態、価値観などにはいずれも相違が存在している。それだからこそ、私たちはどんなときにもまして、互いに魂の触れ合う文化交流をいっそう重視し、相互理解を深め、真底から己を知り、相手を知る必要があるのではなかろうか。そして真に相手を知るには、相手の国の歴史、政治、経済、国際関係やその方向性などを真剣に理解することが重要なのはいうまでもないが、さらに努力して理解する必要があるのは、相手の国の広い意味での文化ではないかと思う。つまり、相手の国の人々のものの考え方、行動を起こす際の思考パターン、この思考パターンを生み出す文化的根源などを理解する必要がある。そうしてはじめて、真の相互理解と相互信頼に達することができよう。

 

私は以上のことを念頭に置いて、この本をまとめた。両国の人々、とりわけ若い世代の相互理解に少しでもお役に立てば、望外の喜びである。

 

本書の中で触れた私の経歴についてのいくつかの事例は、先に日本で出版した拙著『時は流れて――日中関係五十年秘史』(藤原書店)や『郭沫若・日本の旅』(サイマル出版会)を参考にさせていただいた。

 

思い違いや不備の点が多々あるにちがいない。ご叱正を賜れば幸いである。

 

執筆にあたり、終始激励してくださった段躍中氏に心から感謝を申し上げるとともに、適切な助言を与えてくださった畏友武吉次朗氏に衷心よりお礼を申し上げます。

 

二〇〇七年一月   北京にて  

劉 徳 有

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

◆目 次◆

 

はじめに

               

なぜ「柿食えば鐘が鳴る」?/ある意味での異文化

 

幼少年時代            

大連に生まれて/日本人の幼稚園/バイリンガル/掘りあてたお化け芋/小学校か「公学堂」か

 

大連霞小学校        

啓蒙の師・田中清先生/サイタ サイタ サクラガサイタ/てるてる坊主/ただ一回きりのビンタ/矢木博先生/ドジを踏んだ漢字の書き取り/学芸会で演じた『萩大名』/小節に苦労した詩吟/芽生える競争心/級長に推されて

 

大連中学校            

戦闘帽にゲートルのいでたち/心の中で叫ぶ「東方要敗」/つらい真冬の裸体操/「ひねもすのたりのたりかな」/ついに迎えた日本の敗北

 

人生の転換――大連から北京へ        

大連は再び祖国の懐に帰った/「日本語よ、さらば」のはずが/丸暗記した就任挨拶/新鮮に感じた戦後の日本語/勘違いした「勇敢(?)マダム」

 

転勤のきっかけ     

瀋陽で足止め/突然の訪問客

 

『人民中国』社に勤務して               

難行苦行した翻訳/はじめて訳した文芸作品/読み漁る日本文学と翻訳小説/毎日の仕事が日本語の勉強

 

スリル満点の日文中訳        

失敗した『静かなる山々』の翻訳/『占領下日本の分析』を訳して/有吉佐和子の『祈祷』/『不意の唖』と二十年の歳月/『虫のいろいろ』とノミのサーカス/芥川龍之介の『芋粥』/『残像』のことども

 

通訳の楽しみと失敗談        

駆け出しのころ/「疾病」を「しつびょう」と読みシッペイ/「テンコウケン」につまずく/「走馬観花」と「下馬看花」/難しい外交辞令の翻訳/暗記させられた漁労専門用語/出国前の研修/以心伝心の「だからさァ」/はじめて見る日本/はじめて聞く「頂門の一針」/調印式での晴れの通訳/個人のメンツにこだわらず

 

新聞記者時代        

「留年」させられた十五年/特派員生活と日本語/吹きまくる「文革」の嵐/「大字報」にビクビク/触らぬ神に祟りなし/安田講堂「攻防戦」

 

人生最良のとき     

毛主席の湖南訛り/日本と違う中国の略字/はじめての同時通訳/目の前に現れた毛主席/名訳――「類は友を呼ぶ」/「美州(米州)」か「満州」か/毛主席に名前を訊かれて/「妖怪変化を恐れるな」/「君の入党はいつ?」/「君に徳があるか」と訊かれて/「馬馬虎虎」は「まあまあ」/「敵はまだいる」は毛主席の持論

 

周総理の思い出     

見習いからスタート/夜半までつづいた会見/「日本に虎はいないのか?」/周総理自らが救いの手を/「若い人には歴史の勉強を」/厳しくも優しく/メディア関係者との会見/三度にわたる松村訪中/一風変わった「車中会談」/花好 月円 人寿/「怪我の功名」とはこのこと?/第三次訪中の成果/もし「仮辞職」ができれば/定評ある礼儀正しさ/謙虚にして深思熟慮/温かい人間味

 

劉少奇氏にはじめて接触     

二年も遅れて追悼会/「今日の通訳は普通に」/地方訛りのアクセント/「日本も変わったなあ」/思わぬハプニング/汚れた作業着では/いきなり読み上げた「コミュニケ」

 

陳毅副総理の印象               

日本人を見直した/外患なければ危うし

 

日本語の達人――郭沫若     

「麻の中の蓬」で立ち往生/言葉遣いに重みを/「殺人的」な日程/「他山の石」/母校で学んだもの/首を俯して新詩を拾う/千代の松原は面影もなく/蓮玉庵でそば五枚/「アカを畏るるなかれ」/劇的なハプニング/思いがけない別府行き/キーワードは友好と平和/「掛剣の情」と「季子の剣」

 

こころの交流        

文化交流に携わって

 

美意識の共通点と差異        

音声とレトリックの美学/漢詩にみる琵琶の音色/魚返氏の主張

漢詩文の日本への影響        

水村山郭酒旗の風/芭蕉の句と漢詩文/「緑肥紅痩」と「香炉峰の雪」

 

俳句に見る日本の美意識     

芭蕉の句は漢詩文から?/中国人に難解な俳句/俳句の中国語訳

 

季語と歳時記        

日本の風土が培った美意識/相通ずる中日詩文学の季節感/日本に伝わっていない「九九の歌」/二十四候の花

 

中日の美意識比較               

俳句と「俗語」

 

「名月帰らず碧海に沈む」               

月の満ち欠けを愛でる風流/十五夜、十六夜を詠った漢詩/仲麻呂を月にたとえた李白

 

漢俳――中国の俳句            

漢俳の草分け/「詩のこころ」は同じ

 

俳縁        

誌名『たかんな』の由来/推敲には推敲をかさね/「緑」の一字で「きまり」

 

吟行の思い出        

中国と違う日本の「吟行」/銭塘江の大逆流

 

文部科学大臣とのおつきあい            

両陛下ご出席のパーティーで/漢俳の掛け軸/早春の料理談義/「苦渋なるも味は佳し」

 

おわりに

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

著者略歴

 

劉 徳有 一九三一年七月二日中国遼寧省大連に生まれる。

 

中華人民共和国文化部(省)元副部長(次官)。第七、八期全国政治協商会議委員

 

現職 中国対外文化交流協会常務副会長、中華日本学会名誉会長、中国中日関係史学会名誉会長、郭沫若研究会名誉会長、漢俳学会会長、中日詩歌比較研究会会長、中国国際交流協会顧問、北京大学客員教授、北京外国語大学名誉教授、首都師範大学名誉教授、外交学院兼職教授、天津科技大学名誉教授

 

一九四五年八月、大連中学校在学中、終戦により学業停止。

 

一九四九年三月から大連で教育事業に従事。

 

一九五二年からおよそ十二年間、中国外文出版発行事業局に勤務、日本向け月刊総合誌『人民中国』の翻訳・編集に従事。

 

一九五五年三―四月、雷任民氏を団長とする中国貿易代表団の通訳、一九五五年十二月、郭沫若氏を団長とする中国科学代表団の通訳、一九五七年十一月、王震氏を団長とする中国農業代表団の通訳、一九六一年三月、巴金氏を団長とする中国作家代表団の通訳、一九六三年六月、羅俊氏を団長とする中国外文出版社代表団の団員として日本を訪問。

 

一九五五年から一九六四年まで、毛沢東主席はじめ、周恩来総理、劉少奇委員長、ケ小平副総理、陳毅副総理、郭沫若氏ら中国の指導者と、中国を訪問した日本の代表団との会見や会談の際、たびたび通訳を務める。一九六四年の中日記者交換協定により、同年九月から一九七八年までの十五年間、『光明日報』記者、新華社記者・首席記者として東京に駐在。

帰国後、中国外文出版局副局長、中華人民共和国文化部部長補佐を歴任。一九八六年四月、中華人民共和国文化部副部長(次官)に任命され、対外文化交流を担当。一九九六年四月までの十年間、日本を含む対外文化交流活動に従事。

 

一九八四年から一九八八年まで、中日友好二十一世紀委員会中国側委員を担当。

 

一九九二年十月、日本国天皇、皇后両陛下ご訪中の際、中国政府文化部副部長として両陛下の北京故宮博物院ご参観の案内役をつとめる。

 

一九九四年十一月、裏千家家元千宗室氏(現在の千玄室氏)のご招待により京都に赴き、平安建都一二〇〇年慶祝式典に参加。

 

二〇〇〇年春の叙勲で、勲二等旭日重光章を授与される。

 

二〇〇三年四月十七日、日本政府文部科学大臣遠山敦子氏より、日中文化交流はじめ国際交流活動の面で顕著な功績を挙げた功労者として表彰される。

 

主な著書と訳書

 

[著書・中国語版]

『在日本十五年』(生活・読書・新知三選書店、一九八一年)、『現代日語趣談』(遼寧人民出版社、一九八三年)、『戦後日語新探』(遼寧人民出版社、一九八八年)、『随郭沫若戦後訪日』(遼寧人民出版社、一九八八年)、『花束・友情・二十一世紀』(遼寧人民出版社、一九九二年)、『時光之旅――我経歴的中日関係』(商務印書館、一九九九年)、『心霊之約――我親歴的中日文化・学術交流』(商務印書館、二〇〇二年)、『旅懐吟箋――漢俳百首』(文化芸術出版社、二〇〇二年)、ほかに、『中日文化交流事典』を共同編纂・監修(一九九二年遼寧教育出版社出版)。

 

[日本語版に翻訳された著書]

『日本探索十五年』、『日本語の面白さ』、『日本語の旅』、『郭沫若・日本の旅』(いずれもサイマル出版会より出版)、『時は流れて――日中関係秘史五十年』(中国語版は『時光之旅』。日本語版は、藤原書店二〇〇二年七月出版)。

 

[日本語による書き下ろし]

『日本語と中国語』(講談社二〇〇六年四月出版)。

 

[中国語への翻訳]

芥川龍之介の『芋粥』、有吉佐和子の『祈祷』、大江健三郎の『不意の唖』、尾崎一雄の『虫のいろいろ』、野間宏の『残像』など。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

【書誌データと注文先】

 

書名 わが人生の日本語 ISBN 978-4-86185-039-4

著者 劉徳有

発行 日本僑報社

判型 A5336頁 並製

定価 2500+

発売 2007.3.1

注文 171-0021東京都豊島区西池袋3-17-15日本僑報社

   TEL 03-5956-2808 FAX  03-5956-2809

インターネット注文先 http://duan.jp/item/039.html

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━