【池谷田鶴子先生追悼特集】

日本僑報電子週刊第1475掲載

 

 

 

 

【日本僑報社発】98日に配信された日本僑報電子週刊第1475号は、順天堂大学付属病院医師・池谷田鶴子先生の追悼特集を掲載した。

 

編者による追悼の言葉は下記の通りです。

 

先日病気でご逝去された順天堂大学付属病院の池谷田鶴子先生の告別式が96日、東京国立市で行われました。

 

池谷先生は父娘二代に渡って、日本僑報社と書籍を通したつながりを持ちました。

 

池谷先生の父である稗田憲太郎氏は、1945年に八路軍に参加し、翌年胡耀邦氏が病に倒れた際に診察し、後の総書記にとっての命の恩人となりました。当時の貴重なエピソードが、小社刊『新中国に貢献した日本人』に掲載されています。同書は故・後藤田正晴元副総理より推薦の言葉をいただきました。

 

池谷医師は生まれたときから北京の家政婦に育てられ、幼少時は毛沢東の娘・李敏と同居していたことなど、生涯を通じて中国人民との交流が深い人物でした。

 

池谷先生は生前、中華人民共和国成立70周年を祝して小社より刊行された『日本人70名が見た感じた驚いた 新中国70年の変化と発展』の共著者として、70年前の天安門開国式典を目撃した当時の出来事を、忘れられない思い出として残されました。

 

医療を通じて日中交流を深めた池谷先生のご逝去は、日中両国の医学界の交流、日中友好事業、そして日本僑報社にとっても大きな損失となりました。

 

この場をお借りして、心より池谷先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、先生のご遺志を継いで今後とも日中交流に努力してまいります。

 

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『日本人70名が見た感じた驚いた 新中国70年の変化と発展』より、池谷先生の「北京で見た開国大典のパレードから70年〜新中国誕生に立ち会えた9歳の日本人少女〜」を特別公開いたします。

http://duan.jp/news/jp/20210908.htm

 

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■池谷先生の略歴

 

池谷田鶴子(いけや たづこ) 医師、公益財団法人日中医学協会理事 1940年中国張家口にて生まれる。1952年八一学校卒業。翌年4月に日本に帰国後、都立新宿高等学校に入学。1965年順天堂大学医学部卒業、インターン1年。翌年同大学皮膚科学講座入局。19872012年非常勤講師を務める。 197511月より日中の医学の各分野の交流に参加。198384年稗田憲太郎の遺族として胡耀邦氏に接見。2007年中曽根康弘元首相率いる『日中青年世代友好代表団』に参加し訪中。2011年中国人民解放軍 医学科学技術委員会 神経内科専業委員会より『特別貢献賞』及び『終身成就賞』を受賞。 現在は(公財)日中医学協会理事、(公社)日本皮膚科学会功労会員、(一社)日本医真菌学会功労会員。順天堂大学国際交流センター運営委員。

 

現在は(公財)日中医学協会理事、(公社)日本皮膚科学会功労会員、(一社)日本医真菌学会功労会員。順天堂大学国際交流センター運営委員。 

 

 

 

 

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