受 賞 者 体 験 談

焦らずに諦めずに

 

関西学院大学大学院 白宇(第12回日本大使賞)

 

 

訪日中国人、「爆買い」以外にできること

 

 

1、はじめに

 

今年の4月に、日本留学の夢が叶い、私は日本に来た。

 

絶対に多くの先生方と友達、そして家族の期待を裏切らないように、一生懸命に頑張って行こうと心の中で何度も何度も自分に言い聞かせていた。でも、何を頑張るのだろうか。勉強?就活?正直に言うと自分もよくわからなかった。たぶんただ「頑張る」という言葉にはもう慣れているだけだからかもしれない。きっとそうだろう。

 

そんな漠然とした考えに伴い、私の留学生活は始まった。関西に来るのは初めてではあるが、意外なことに関西弁は全く聞き取れないことはなく、むしろ面白くて親しいと感じた。道を歩いていると、「あかん」、「せやで」…関西弁がいっぱい聞こえてきた。その一瞬、まるで自分の見ていたドラマや映画の世界に入ったように、わけがなく、ただただ胸が高鳴り、ワクワクし始めた。これからの留学生活もきっと楽しいだろうと私はぼんやりと考えた。

 

2、自分の日本語は通じなかった

 

留学に来る前に、中国の大学から日本語を学び始めて5年半。中国に来る日本人と交流していた時も、日本語スピーチコンテストや作文コンクールで優勝して日本を訪れた時も多くの日本人から私の日本語や振る舞いを褒めてもらった。実際、彼らと交流する時、コミュニケーションに困ったことは殆どなかった。いつしか褒められるのが当たり前だと思うようになっていた私はその点で「日本語が専門だから!」と自信を持っていたのだ。

 

しかし、その安易な考えは留学が始まってすぐ打ち砕かれた。携帯電話の契約に行ったとき、私の発した一言目で、担当のスタッフの顔が険しくなり、話を進める中で「まだ日本語はあまりわかりませんか」と言われ、次の日、髪を切りに行くと、「どんな風に切りますか」と聞かれ、はっきり答えられないままでいると、「日本語があまりわからないようでしたら、髪を切ることはできませんが…」と言われ、大きなショックを受けた。

 

結局は契約もできたし、髪を切ってもらうこともできたのだが、「日本語わかりますか?」と本気で心配されたことに、私は少し悲しくなった。そして、心のゆとりも無くなってしまったことに気づき、もっと悲しくなったのだ。

 

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留学経験のある日本の友人にこの話をしてみると、自分がなぜそういう経験をすることになったのかよくわかった。私の日本語は中国人も含めて外国人と接し慣れている日本人と話すときにはほとんど問題がない。なぜなら彼らは外国人、中国人の話す日本語の癖を知っているため、多少不自然な日本語で話してもうまく意味をくみ取ってくれるからだ。そのことに気づかなったのは私の過ぎたプライドのためだと思う。

 

この経験を通して、自分の変なプライドを捨て、留学生活では「わかりません、教えてください」という謙虚な姿勢が大事だということに気付いた。その日から、私は「知らない単語ノート」を作り始めた。知らない単語があったら、すぐメモを取って、また整理して壁に貼り、覚えるようにしている。焦らないで!

 

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3、研究はとても大変だ

 

言葉の問題はさておき、今度は研究の問題が出てきた。

 

日本での研究分野は日本語教育である。中国ではゼミの授業に参加したことがなく、留学に来てから、初めてゼミの授業を受けた。ゼミは私にとって非常に新鮮なものでとても楽しみにしていた。指導教師は初日の授業で「極楽」という言葉について教えてくれた。どんなことをやっても、極めて楽しもうという意味だ。極めるって何だろう。その時の私にはまだその意味が理解できていなかった。

 

それから、「地獄」の院生生活が始まった。まず、一番痛感したのは読書の量があまりにも少なかったことである。大学四年間日本語が専門で、文法や単語だけに集中して勉強してきた私は、ほとんど日本語以外の分野の本を読んでいなかった。日本語の勉強といっても、本当に日本語教育に関する研究の論文や本を読んだのも少なかった。そのため、担当の先生から指定された本を読んでも理解できないところが多くて、授業中に先生の使っている「私にとっての専門用語」がたくさん出てきて、まったく意味は分からなかった。

 

そして、研究テーマを決めることである。留学前に二年間ぐらい日本語塾でバイトをしていた。そこで、中国人学生の日本語を学ぶ時によく間違えた文法が印象深くて、それについて研究しようとまたも安易な考え。指導教師にそれを伝えたら、あっけなく断られた。私の研究したいことはすでに研究し尽くされて、自分の「出番」はないことだ。先行研究を調べずに先生に伝えたのは今になって思えば、いかにばかばかしいことだろうか。

 

その後、二か月間悩まされて、テーマだけは見つからなかった。先行研究を調べるときに、内容を理解することでもう精一杯で、やっと理解したところで、つい著者の言っていることを鵜呑みにして、新しい発想はなかった。「自分はもしかして研究に向いてないかも」。この声は自ずと耳に響いていた。

 

すると、江里佳先生(大学時代の日本語の先生=作文コンクールの指導教官)はずっと前に話してくれた言葉を思い出した。「白さんはまだまだいろいろなことをいっぱい吸収できる潜在能力を潜めている人だと思います」。苦しみの中で、この言葉はどれだけ私に力と勇気を与えてくれたかわからない。唯一分かったのは私にはまだまだいっぱいできることがあり、ここで絶対あきらめてはいけないことだ。一度読んだ論文や本をもう一度読んで、指導教師と相談しながら、研究テーマはやっと決まった。

 

研究は本当に大変だでも、絶対あきらめないで!

 

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4、楽しみもいっぱい溢れる私の留学生活

 

日本語の問題や研究などでいろいろ挫折しているが、このように多くの人に助けてもらいながら、成長していく。そして、私の留学生活には「よくやった」と思うことも多かった。ここで、ぜひいくつか紹介したいと思う。

 

まず、上で紹介した日本語が通じなかったエピソードと感想をまとめて、朝日新聞社の「声」のコラムに投稿して、載せてもらったことだ(201883日)。決まった時は言葉でも表現できないほどうれしかった。日本で初めて自分の気づいたこと、思ったことを新聞で、多くの人に伝えられたからだ。ここでも、秀夫先生に原稿のチェックをしていただいた。中国にいても、日本に来ても、二人の先生はずっと見守ってくれている。感謝の気持ちが言い尽くせない。本当にありがとうございました。

 

次に、8月に中国で行われた「2018年日本語誤用及び第二言語習得研究国際シンポジウム」に参加した。まだ日本語教育の知識が不足しているが、指導教師の紹介でこの学会に参加してみて、多くの先生方の発表を聞いて、大変良い勉強になった。もちろん刺激もたっぷり受けた。いつか自分もこのような学会で発表できるようにもっと努力しないといけないとその時の感想。

 

また、日本に戻った後に、夏休み中に関学の学生による「西日本豪雨水害ボランティア活動」に参加し、倉敷市へ行った。今年の日本は災害が多くて、せっかく日本へ留学に来ているので、ぜひ自分の力を少しでも入れたかったのだ。現地に行ったら、悲惨な現場を目にして、災害の広さと怖さが分かった。災害支援専門NPOの方と一緒に、家の壁を剥がす、水や土で汚れた地面を掃除するなどの作業をやった。大変だったが、とても良い経験となった。参加した学生の中に私一人しか留学生がいなかったが、グループの何人かの日本人の学生と深い交流ができて、いい思い出になった。支援の継続が重要で、これからも自分の「できること」を考えて、行動に移りたいと思う。

 

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最後に、六月から大学コンソーシアムひょうご神戸が主催している外国人留学生によるインターンシップに挑戦して、実習先の「兵庫県国際交流協会」で実習を受けた。「多文化共生を考える研修会」、「ふれあいデー」、「国際フロンティア産業メッセ2018」などのたくさんのイベントでお手伝いをさせてもらった。このようなイベントを通して、日本人の危機管理について大変勉強になり、非常に深い印象に残った。例えば、研修会の前にスタッフみんなで「お手洗いがどこにあるか」、「安全出口はどこにあるか」一つ一つ確認しながら、準備に取り組んだ。それだけでなく、常に第二プランを考えて、余裕を持って、行動を取っている。自分もこれからこのような危機管理を念頭に入れて、勉強や仕事に生かして行きたい。

 

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5、終わりに

 

以上は私の留学生活の報告である。躓いたことはもちろんたくさんあったが、楽しいこともいっぱいある。失敗したことから学び、頑張ったことから更に知識を吸収していく。これからもきっと更なる困難がくるはずだ。怖がらずに焦らずに諦めずに逞しく成長していきたい。遠くないうちに、「あの時のおかげで…」と思える日が必ず来ると信じている。

 

最後に、この場をお借りして、ずっと支えてくれている、見守ってくれている丹波秀夫先生と丹波江里佳先生に感謝の意を申し上げたい。二人の先生のおかげで私はいま日本にいるのだ。肌で日本を感じているのだ。そして、段先生からいつも心温かいご支援をいただいて、「日中友好交流」は口だけではなく、行動で証明することだと再認識できた。また、第六回宮本賞論文コンクールに一緒に参加した共同執筆者の坂井華海さんは私が戸惑う時、多くのアドバイスをしてくれて、励ましてくれた。皆さん、誠にありがとうございました。

 

「初心を忘れずに」。

 

20181123日 下宿にて