“十年磨一

――武吉塾の10

 

日中翻訳学院武吉塾長 武吉次朗

 

 

20089月の武吉先生by段躍中

 

 

■武吉塾の由来

 

私は1980年代に東京の貿易団体事務局で、若手の事務局員を対象に、自分なりの教材を使って翻訳のテクニックを教えた。1990年に大阪の摂南大学に移ってからは、日中友好協会付設の中国語学院で毎週一回、社会人を対象に翻訳を教えるとともに、教材に使った中国で話題の図書を二冊訳して、東方書店から刊行した。この時期に、元新聞記者や高校教師たちから翻訳の法則性につき質問攻めに遭ったが、中文和訳のテキストなどないので、英文和訳の本を読んでみたら、英語と中国語に共通項が多いことに気づき、これを手掛かりに「中文和訳の法則性」を自分なりに整理できた。2003年からは横浜のフェリス女学院大学で、これも社会人を対象に翻訳を教えたし、2008年から3年間、月刊誌『中国語ジャーナル』に「楽しい翻訳教室」を連載した。

 

2002年に中国の中日関係史学会が、戦後中国に残って働いた日本人の事績を編纂し、『友誼鋳春秋』と題して刊行、2005年には第二巻も出た。私は同学会から日本語版の翻訳を依頼され、大阪時代の受講者有志の協力を得て二冊とも無事出版できたのだが、この出版社が日本僑報社だったことから、段躍中・張景子ご夫妻と知り合い、そのご縁で、同社付設の日中翻訳学院に2008年、中文和訳の「武吉塾」を開設することになった。

 

当初は毎週金曜日の夜に、池袋の日本僑報社会議室を教室にしていたが、夜の遠出が辛くなってきたので「辞めたい」と申し出たところ、張景子社長から「通信制」つまりメール方式に切り替えるよう勧められ、それなら自宅でもできるからと同意したところ、これが思いがけず「大当たり」。地方在住の方たちから「この方式を待っていた!」と申し込みが急増、教室方式時期は10人だった受講者が、第4期から20人、30人になり、14期からは毎期40人台を保っている。

 

受講者は北海道から沖縄まで、さらに中国と米国にまで広がっており、空白は四国だけ。中には初耳の地名にお住いの方もおられ、中文和訳のニーズの広がりを示している。第19期までの受講者は、実数で195人、延べ566人にのぼる。

 

受講者の9割以上が女性で、年齢は40代と50代が過半数を占めているが、最近は若い人が増えつつある。また、中国での留学経験者がやはり過半数であるし、今もさまざまな形で中文和訳と関わっている方が多いのもうなずける。留学経験者・長期滞在経験者とそうでない人は、課題文の理解力がはっきり異なる。

 

20089月武吉塾一回目の授業by段躍中

 

 

■これまでに刊行した翻訳関連図書

 

1984年に東方書店から刊行した『中国語翻訳・通訳ハンドブック』は、翻訳テクニックの解説というよりもエッセイ風のものだったが、日中翻訳関連の図書としては珍しかったようで増刷をかさね、なんと1万冊も売れた。1990年に東方書店が『新編・東方中国語講座』を6冊シリーズで刊行した時、翻訳篇を共著で担当した。この時期にテキストを数冊出したが、『中国Today』は、中国と国交樹立して間もない韓国でも翻訳刊行された。

 

その後は日本僑報社から『日中・中日 翻訳必携』が相次ぎ出版されている。

 

■課題文の素材探し

 

私は大阪から千葉県の自宅に戻った後、ほぼ毎月1回、海浜幕張にあるアジア経済研究所図書館へ行き、中国の新聞雑誌を渉猟しているので、課題文の素材も大半はここで選んできた(一部はネットから拾っている)。

 

選ぶ基準は、@テーマをなるべく多彩にする、A難易度にやや幅をもたせる、B中国に関する知識と一般常識を増やせるようにする、などである。課題文に「書簡」を加えたのは段編集長の提案であり、繁体字の文章も加えることにしたのは受講者からの希望を取り入れたものだ。

 

『翻訳必携・実戦編』を編纂するにあたり、それまでの例文を分類してみたら、中国社会、中国経済、中国政治家、中国法規、日中交流、日本、世界、女性、風景、会話体の10項目に仕分けできた。強いて言えば、十九期の「王蒙」のような人間描写の例文をもっと増やすべきだったが、人間描写のような文章は、人民日報にはなかなか載らない。

 

20089月武吉塾一回目の授業その二by段躍中

 

■訳文添削の基準

 

添削の基準は「そのまま新聞に掲載できるレベルの訳文」にすること。このため、@漢字ばかりの原文の「文字搬家」ではなく、なめらかな日本語に訳されていること、A卑俗な単語が使われていないこと、B送り仮名や数字、そして外来語のカタカナが正しく表記されていること、C漢字が多用されていないこと、などが不可欠であり、報道機関が出している『用語の手引き』や『日本語表記ルールブック』に依らなければいけない。

 

一人ひとりの訳文を添削するうち、同じまちがいをくり返す人が意外に多いことに気づいた。たとえば “都” などの副詞はできるだけ省略したい、と指摘した場合、その後は他の副詞も省略した方は少数で、指摘した“都” だけ省略した方と、相変わらずの方のほうが多数なのだ。どうやら、一回の指摘ですべてOK、と期待するほうが無理なようだ。

 

添削した各人の訳文は、外国在住の受講者へはメールでお返ししてきたが、国内在住者へは郵便で返送している。切手代が毎期4万円以上かかるけれども、肉筆のままのほうが「迫力がある」「温かみがある」などの評価をいただいているからだ。郵便局でいろいろな記念切手を選んでいるが、幸い好評のようだ。

 

■参考訳文と参考訳例

 

私が作る参考訳文は、受講者の皆さんの訳文から「いいとこ取り」したものだ。毎回、皆さんの訳文にはハタと膝を打つ名訳があふれていて、感心し脱帽させられる。一つの単語でもいろいろな訳語があり、タイトルになると実に多彩な訳し方があるものだと感服させられる。すべて参考訳文に採用できないので、残りは講評で例示することにしている。

 

さらに、毎期2回は受講者の訳文から数編を選び、「参考訳例」として皆さんに紹介してきたが、これは私の参考訳文とはちがい、「同じ受講者仲間の訳文」だけに親しみがもて、よい刺激になっているようだ。

 

■力をこめて書く「講評」

 

毎回40人の訳文添削に時間と労力をかけているが、それ以上に時間をかけ精力を込めて書いてきたのが講評である。受講者の訳文から問題点を引き出し、何度も書き直して講評に仕上げると、ほんとうに疲労困憊するけれども、達成感を味わえるのが実に楽しい。幸い、「講評」は「好評」をいただいているようで、講師冥利に尽きる。

 

講評にはもう一つ、関連する中国事情や日本事情の紹介、同じ漢字でも中国語と日本語では意味や用法が異なることの指摘、等々、私の知識をフル動員して書き加える部分が不可欠であり、思い違いを避けるため、辞書やネットで調べることにも時間をかけている。それでも時たま、まちがいを指摘されることがあり、赤面しながら勉強にもなっている。

 

■楽しいスクーリング

 

各期の最終回(つまり15回目)に開くスクーリングに、地方から遠路はるばる出席していただくのは、実にありがたいことであり、それだけに「出席した甲斐があった!」と喜んでいただけるよう、工夫が欠かせない。毎回、まず私が小一時間かけて話すことになっているので、これまでと重ならないようテーマをしぼり、中身を工夫してきた。つづいて毎回、数人の方に体験談を披露してもらい、その後は茶菓を賞味しながら、出席者全員に1人1〜2分ずつ自己紹介と感想を述べてもらっているが、これが実に楽しいし、出席者にとっても、「厳しい環境下で頑張っている仲間が大勢いる」ことを実感し、刺激を受け励まされるひと時になっているようだ。

 

スクーリングの最後には、段さんに集合写真を撮っていただくのだが、どの期の写真にも皆さんの笑顔があふれていて、良い思い出になっている。

 

20182月武吉塾第19期集合写真by段躍中

 

 

■成長を実感する受講者とは

 

受講者の皆さんと長年付き合う中で、翻訳能力がグングン伸びる人、ある程度伸びたところで足踏みする人、なかなか伸びない人など、いろいろなタイプがあることに気づかされた。

 

日本で最初の翻訳会社を立ち上げた在日華僑の友人によると、翻訳の仕事をしたいと申し出る人には、まず自国語(日本人なら日本語、中国人なら中国語)で、何かをテーマにした短文を書いてもらい、その出来栄えにより採否を判断しているそうだ。翻訳に必要なのは原文の理解力と訳文の表現力だが、「最終製品」である訳文の表現力が決め手であり、それは自国語で文章を書く力を見れば分かる、というわけだ。

 

ここで、「翻訳者に必要な資質と条件」について、自分の体験も踏まえながら、8項目ほど私見を述べてみたい。いわゆる「語学力」は、当然の前提なので省略する。

 

@幼いころから、どれほど読書に親しんできたか。読書は幅広い知識を身につけることもに、探求心と知識欲を持ち続ける上でも不可欠だ。私の場合、少年のころは兄や姉の本まで乱読したし、敗戦後は手元に残ったわずかな本をくり返し熟読した。今でも、私の「至福のひととき」は、静かな音楽を聴きながら、水割りのグラス片手に、日本か中国の近現代史に関する本を読むことだ。

 

A毎日、新聞をしっかり読んでいるか。新聞は毎日読んでも飽きないし、新語も拾える。書き手がプロだから文章が練れている上、規範化されてもいるので、「文章を書く力」も自然と身につく。

 

B小学生のころから、作文が大好きで得意だったか。まさにそうだった私は、いずれも教員だった祖母と両親に作文(当時は「綴り方」と呼ばれた)を厳しく添削され、主語と述語のつながり具合や類義語の使い分けなどをたたきこまれた。おかげで私の文章(訳文を含む)は「読みやすく、分かりやすい」との評価をいただいている。

 

Cすぐ辞書を引くクセがついているか。近年はネットでも検索できるけれども、やはり活字のいろいろな辞書、たとえば「漢和辞典」「類語辞典」「熟語辞典」「語感の辞典」「数え方の辞典」から「記者ハンドブック」「日本語ルールブック」「現代用語の基礎知識」など、いろいろな辞書を手元においておきたい。

 

D語感を磨くこと。語感とは、同義語や類義語の微妙なニュアンスの違いを感じ取る能力のこと。たとえば「すべてよく見える」と「丸見え」は、用法がまったく異なる。私はよく「ライスカレー」と「カレーライス」の語感の違いを質問するのだが、人さまざまな答えが返ってくるのが面白い。

 

E旺盛な好奇心を持ち続けること。電車に乗ると、以前は本や雑誌を読む人が多かったけれども、近年はスマホに熱中している人ばかり。でも私は雑誌の吊り広告を見ながら「この見出しを中国語にどう訳すか」考えるのがクセになっている。体言止めの凝った日本語見出しを、述語付きの中国語に訳すのはなかなか難しく、つい乗り越しそうになる。

 

F中文和訳の場合、もう一つ、不可欠の条件があると思う。中国人が書く原文には、独特の発想、ロジックと表現がある。それを生かしながら、日本人に分かりやすい文章に仕立てるのが和訳のだいご味とも言える。

 

G原文も訳文も、大声で読むこと。翻訳に取りかかる前に、まず原文を大声で三回読む。

 

一回目は発音と声調を確かめながら、二回目は文章構成を確認しながら、三回目はサッと。書き上げた訳文は、脱字や誤字がないか確かめながら二回、これも大声で読み上げる。これにより、黙読や小声では気づかないまちがいを発見できる。翻訳は孤独な作業だけれども、大声で読むことは孤独感から抜け出す一助にもなる。

 

私はかねがね、訳文には「これが最高峰」というものはない、と自分に言い聞かせてきた。毎回私がまとめる訳文を「模範訳文」ではなく「参考訳文」と呼んでいるのも、このような見地からだ。言い換えるなら「no best, do better」である。絶えず「より良い訳文」を目指しつづけたい。

 

 

■三つの「お」で締めくくりたい。

 

翻訳は、おもしろい。ピッタリの訳語を探り当てたときの快感を、一度味わったら病みつきになること請け合いだ。

 

翻訳は、おそろしい。自分の語学力だけでなく、知識から仕事ぶりや性格まで、すべてさらけ出してしまうのだから。

 

翻訳は、おく(奥)が深い。まさに生涯学習、 “活到老,学到老” である。皆さんに励まされながら学びつづけていきたい。いま拡大しつづける日中交流という鉄橋は、無数のボルトが支えている。そのボルトの一本、いつまでも錆びないボルトの一本でありつづけたい。これが私の念願である。

 

201810月開講の武吉塾第21期から、武吉先生に「顧問格」として

助言いただき、当学院出身の翻訳家として活躍中の町田晶さん、

東滋子さんに講師を担当いただく新体制となります。

写真は201897日、日本僑報社事務所にてby段躍中