第3回「日中教育文化交流シンポジウム」記録 2018年3月4日 作成:永野 剛 日時:2018年3月3日(土)13:30〜17:00 場所:日本教育会館 9階 第5会議室 主催:公益社団法人日本中国国際教育交流協会 ↓メモ ○主催者挨拶:(公益財団法人)日本中国国際教育交流協会 代表理事:黒田
文男 様 政治の有り様について問題があると考えている。権力にすがりすぎているのではないかと思います。宋さんの作文”「日本語の日」に花を咲かせよう”を読みましたが、とても素晴らしい内容でした。本日の会は小さな会ではありますが、いつか大きな会になりますよう祈念しております。 顧問:輿石東
様 今、政治では働き方改革が話題となっているが、本日は限られた時間ですが、本会が得るもの多い時間であれば幸いです。 ○シンポジウム: 講演:近藤昭一衆議院議員『日中関係と若者の役割』 名古屋出身で浪人して東京で暮らすようになった。実家を離れて他の地域で暮らす経験をしたいと考えていた。また大学に入ったら留学してみたいと考えていた。その中でも体制が違う国に行ってみたかった。大学では第3外国語として中国語を習っていた。 段さんが実施している作文コンクールでは、今年は日中平和友好条約締結40周年の年とのこともあるので、通常土日は地元に戻りますが、今回は満を持してお邪魔させていただきました。 皆さん方に果たしていただきたい役割は大きいです。 若い時、物産展を日本国各地で実施していて、そこに参加すると丸いザーサイが珍しかった。当時は国交正常化して9年目と時に中国に行った。人民大会堂でパーティーを実施した。井上靖先生がおられた。私にとっては日中関係がとても暖かい良い時代であった。 あれから47年ほど経ち、今本当に政治の世界にいて危惧することは多くあります。 一つは中国の変化です。 私の父は名古屋で市議会議員をしていた。名古屋は南京の姉妹都市となっており、南京を侵略した人物が名古屋にいた経緯。名古屋と南京の交流を快く思わない人もいた。モニュメントを作ったのは北京の人。その時、私の父と交流ができた。 当時は電話を掛けるのが大変な時代。北京語言学院からも迎えに来ていたが、父親の知人も迎えに来ていた。当時の車は個人所有の車はないので、工場の専門の運転手がついて、友人が来て、2人で迎えに来ていた。そのような中で、話をした「これはあなたの車ですか?」といったら相手は笑っていた。 寄宿舎に入ると2人1部屋であった。筑波大学の学生が書道を学びに来ていた。彼が通訳をしてくれて、顧さんに会いに行った。 そのエピソードから何を言いたかったかというと、顧さんの息子も日本留学をした。そして息子が車を運転したことに感慨深い感情があった。 私が留学した時、当時から中国ではサービスが悪かった。北京飯店で食事しても壁の方にスタッフの方がいて、呼びかけると面倒くさそうに対応していた。日本のサービスを経験している私たちからすると少し頭に来る経験もしたことがあります。中国はまだまだサービス向上がしないと思っていたが、発展が著しい状況であった。 中国の政治闘争を見ていると凄まじいなと思いますが、ケ小平の素晴らしは際立っていた。 中国の変化が予想以上のスピードであったと思う。日本はついこの間までGDP2位を争っていたが、今ではとうに先を越されています。 現在は、日中友好議員連盟の幹事長をしておりますが、70年代80年代は比較的平和な連盟な内容であった。村山談話が発表されて良くなってくる時代かと思ったが、島の国有化問題が発生した。残念ながら2010年代から現在に至るまで、政治関係は難しい局面であると思っている。日中友好議員連盟は超党派の最大規模の議員連盟(100数十名在籍)である。他にも議員連盟はアメリカ、韓国、キューバなどもある。林芳正参議院議員が会長。小渕優子さんが副代表。民主党は当時海江田代表であった。政権交代したときに民主党だけで議連を作るべきと言ったが、私は超党派で議員連盟を作るべきだと思っていたので、交渉を行った。結果、幹事長のみ民主党側で担当することになった。 政治家自身も世論に影響されるケースも多い。日中友好関係7団体の一つが、日中友好議員連盟となっている。ですので、訪中する時には、首相や主席が出てくるのが2009年までのこと。やはり中国で政権交代したことが大きな影響があった。 政治局常務委員が誰も会見に出てこない状況が続いたため、訪中団を中止する期間があった。政治の動きに翻弄されて6年前に一度だけ訪中を中止をしたことがある。日中関係は大事なので、序列でいうと3番目、4番目が来ている。昨年は朝鮮半島情勢が大きな影響を及ぼしていた。 また、中国共産党の外交部副部長で元平壌大使の方と意見交換を行った。 私は政治でもアジアとの関係を良くしたいと思っている。やはり歴史をしっかり認識しておく事が重要。氷の上を歩く際に、しっかり軸足を持っておかないとツルツル滑って前に進めなくなる。 平壌にも2001年に行った事があるが、「近藤昭一」とネットで調べると反日政治家としてボーンと出てくる。日韓関係はほんの数年間まで韓流ブームがあったりしていたが、今はロッテホテルなどは閑古鳥状態になっている。 「ドイツはなぜ和解を求めるのか」の本がありますが、首相がひざまづいて謝罪した内容が描かれている。日本でそれをしたらどうなるのか。世論と政治家の行動のバランスを取ることが難しくて重要。 政治家は、国民の代表であるのでどうしても世論を踏まえた行動をしていくことになりますが、国民の皆さんは一票を投じる権利に是非、思いを反映していただければと思います。 今、立憲民主党は戦後最少の最大野党ではありますが、訪中をしたいと考えています。南京事件は無かったと河村市長が言ったために、正式な交流は無くなっている。 世の中の多くの人の雰囲気を変えていかなければと考えています。だから私は、先ほど自身の留学経験を喋ったわけです。 中国の人に“老朋友”と呼ばれると、日本人はなぜ会ったばかりなのに古い友達なのかと言うか、と思っている人が多い。それくらい中国の文化を理解していないと思う。私は自己人と呼ばれた時に嬉しかった。酒を飲むのも心を通わせたいだけではないかと思っている。心が通えば1000杯でも飲みたいと思っている。 文化が違う、スタートが違う、だけど同じところは沢山ある。相手を脅威だと言えば脅威になる。基本的な部分をしっかりと理解していくことが重要である。 企業でも同じである。日本側と中国側で自分のいる環境により意見が異なる。実態を伝えるのは皆さん方若い世代であると考えている。体制の異なる国で暮らしてみたいと感じている。 私が思うキーワードは“和解”を求めていくこと。新たな時代。浅い和解ではなく、先ほど申し上げたとおり、軸足を持つという意味でも“深い和解”を求めることが重要である。 先ほど、ドイツの話をしましたが、フランスとドイツはエリーゼ条約により和解した。この条約には具体的な留学生の何名留学させるなどが記載されている。日本と中国でも同じことができるはず。 今年も日中平和友好条約締結40周年の今年。皆さんとともに奮闘していきたいと思います。 小櫃:20代、30代の具体的な役割は何でしょうか? A:若い人達に、こうしろああしろという事はないが、政治家が戒めるためには、日中関係に何が大切なのかを社会の雰囲気を作っていくことが重要である。歴史のことを知ってほしいと思っています。 第一次安倍政権で、教育基本法を改定したことが重要である。 ドイツの事は、ベルリンの街の中に名古屋の土地には、総領事館が建設できない理由は街宣車が来て大変な騒ぎになる。来てくれ来てくれと招致しておきながら未だに土地が決まらない。ドイツの状況のようになかなかなりにくい。 立憲民主党では、今後パートナー制度を設ける。 在日の人のこと。サポーターに外国籍の人にも参加できるようにしているが、地方の参政権についても議論していくことを考えている。 政権交代において和解を進めることが重要。 ○パネルディスカッション >宋さん 作文の朗読:<割愛> 一週間の感想:この一週間の訪問はあっと言う間でした。偉い人もたくさん会うことができ、とても嬉しかった。日本では押しボタン式の信号機はとても印象的でした。二階幹事長と会話していた際に琴線に触れたという経験はとても良かったです。今回は3回目の来日。日本語のスピーチコンテストで過去来日しました。勉強すればするほど日本人の会社の方が、たくさん皆さんが喜んでいただきました。 >郭さん 小さなことの積み重ねで、大きな変化ができると感じている。 >徐さん 日中友好をしたい人間がある程度いる。街宣車など実際の行動を行っている人は少ないと考えている。リベラルで戦えるんだとお感じました。日中関係においては楽観的になった方が良い。 >市川さん 早稲田大学文学部日本文学を専攻している。北京大学に留学経験がある。現場に行くこと、災害の現場や自分の目で言って体験することが重要である。 >宮川さん 日本社会では中国に興味のある若い人は、変わっている印象があったり、いわゆる“アウトロー”と呼ばれている人が多い印象がある。私は現在仕事では高校生や学校の先生が外国と交流させる仕事をしている。そのような場を多く作っていきたいと思っています。 >鈴木さん 東京学芸大学出身で台湾に留学経験がありました。卒業論文を書くためのツールという印象があった。中国のバラエティー番組の面白さのレベルが上がっていった。エンタメから入り、深くなっていった。越境ECなどの仕事についている。日本でもアニメ、ドラマ、アイドル、など、エンタメコンテンツは世界共通のものだと思う。中国のコンテンツも日本で知っても欲しいと考えている。 >段さんから質問:「どうしてここまで語学に関心があるのか?」 宋さん:日本のバラエティー番組が大好きです。 郭さん:暗記です。 徐さん:神戸でホームステイをした。 市川さん:中国人に日本語を学ばせた方が早い 宮川さん:住む。 鈴木さん:中華エンタメに興味を持つ。日本では中国語の教育を早めにはじめるべきである。 >その他メモ 1995年8月15日の投書 日本を勉強する方法。 >参加者の高校教諭からの質問 市川さんへ マスメディアの役割はどうあるべきか? >市川さん いろんな価値観を学ぶとということを学ぶ。マスメディアとしては、信頼だと思う。 >段躍中さん ・マスコミの役割は終わった時代だと思う。マスメディアの役割はそろそろ限界を迎えている。 ○講評:前参議院議員・元内閣総理大臣補佐官 水岡俊一 宋さん:素晴らしい日本語 郭さん:神戸での生活体験は実体験に基づき、素晴らしい経験をなさっておられました。 徐さん:日台関係を語る人は胸を張っている印象がある。考えさせられました。 市川さん:自分の目で見ることがものすごく大事であると思っている。改めて大事だと感じている。 宮川さん:私が経験したことが伝わっていくことが大事だと思っている。 鈴木さん:エンタメコンテンツが切り口だとの話は、珍しいし貴重な内容であった。物事はあらゆる角度から見るべきだと思うので、非常に有意義な内容であった。自分を好きにならないと、他者も分かり合えないのではないかと考えている。 (永野剛) |