日本僑報社の段躍中編集長

北京放送のインタビュー番組に登場

 

 

 

 

【日本僑報社発】日本僑報社の段躍中編集長が、中国国際放送局(CRI、北京放送)日本語放送のインタビュー番組に登場しました。1月23日より、同局サイト「CRI Online」のネットラジオで公開中です。

 

番組の紹介ページでは「『永遠の隣人』の理解を深めたい〜日本僑報社編集長・段躍中さんに聞く」と題し、段編集長が今から27年前の1991年に来日したキッカケや、来日当初から「不慣れな外国で悪戦苦闘しながらも、不撓不屈の精神で頑張り」ぬいてきたこと、そして96年の創業以来、日本僑報社で計350冊を超える図書を出版してきた実績などが紹介されています。

 

「今回は名編集長の段さんに、日本で成長し、夢を追い続けてきた27年間の物語に語っていただきましょう」(原文ママ)と興味深い質問を投げかけたのは、CRIの名アナウンサー、王小燕さん。

 

インタビュー内容は、以下のリンク先からお聞きいただけます。段編集長が自らの軌跡や追い続ける「夢」について語る、生のメッセージをぜひお聞きください!

 

CRI Online「『永遠の隣人』の理解を深めたい〜日本僑報社編集長・段躍中さんに聞く」

http://japanese.cri.cn/2050/2018/01/23/141s269146.htm

 

 

以下は同番組の紹介文より転載。

 

今から27年前の1991年、北京に本部を置く全国紙で中堅記者をしていた段さんは人生の決断をしました。3年前から日本留学中だった愛妻に「日本に来てくれないなら、離婚するしかないわね」という脅し(?)を受けてしまった彼は、「結婚した人間の責務を果たすため」1年間の休暇を取り、日本へ渡ることを決めました。

 

当時の段さんは33歳。「日本語ゼロ、人脈ゼロ、日本円ゼロの三ゼロ人間だった」とは本人の談。

 

日本に到着した後、巣鴨駅の電話ボックスで愛妻に電話をした後、そのままパスポートやお金の入ったかばんを置き忘れてしまいました。それがなんと戻ってみると、そのままの姿で残っていました。このような感動の中から日本での生活が始まりました。しかし、言葉のハンディがあり、アルバイトを探す時は、何を聞かれても「はい」としか答えられず、そのため、ことごとく不採用。ところが、捨てる神あれば拾う神あり。上野駅付近で居酒屋を経営する杉山さんというご夫婦から「言葉が分からなくても皿洗いはできるでしょう」ということで、バイト先を確保することができました。

 

不慣れな外国で悪戦苦闘しながらも、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で頑張りぬきました。

 

27年後の今、自らが創業した出版社「僑報社」はこれまでに計350冊を超える図書を出版しています。その中には、中日交流の歴史と今にフォーカスした企画や、「一帯一路」を分かりやすく取り上げた翻訳本など話題作も数多くありました。

 

今回は名編集長の段さんに、日本で成長し、夢を追い続けてきた27年間の物語に語っていただきましょう。