日中翻訳学院公開講座開催

『小さなぼくの日記』訳者の体験談が好評

 

東滋子さん、段躍中撮影

 

 

7月30日午後、池袋で開催された日中翻訳学院・武吉塾第十六期スクーリング及び公開講座において、日本僑報社から最新の訳書『小さなぼくの日記』を刊行した東滋子さんが体験談を発表し、参加者から好評を受けました。

 

東滋子さんの感想全文は下記の通りです。

 

この度、豊子トの児童文学全集第4巻『小さなぼくの日記』を翻訳させていただきました。彼の児童文学作品は、「子ども本位」と「子ども本位でない」作品とに二分されます。『小さなぼくの日記』には「子ども本位」ではない短編が多く集められおり、父親としての温かい目線で描かれています。また1930年代を回想した作品ながら、今でいうイクメンにも劣らない、細やかな感性と愛情がたっぷりあふれている情景に驚かされました。同時に当時の封建的な社会に流されず、冷静に世の中を見つめる自由で哲学的な考えも随所に表れています。

 

今回、翻訳する上で感じた点として次の三点があげられます。

 

第一に原作者である豊子トにとても親しみを感じ、好きになりました。内容から、実際の話しぶりも、穏やかでやさしく語りかける口調だったのではないかと想像できました。書籍の帯の写真にある通り、白ひげのおじいちゃまですが、「タイムスリップして直接話を聞きに行きたい」と思ったほどでした。

 

第二に原文の味わいをそのまま生かすにはどうすればいいのかと大変悩みました。しかも1930年代が舞台です。今風の言葉、あるいはカタカナを使うとどうしてもそこだけ色合いが異なってしまい、原文に漂う雰囲気を壊してしまいます。かといってぴったりな訳語を探すのも、なかなか難しい作業でした。

 

第三に想像力で構成しなおす部分が必要でした。たとえば、たばこの葉をキセルに詰めて吸う話が出てくるのですが、もちろん当時のキセルを見たこともないし、たばこの葉を詰めたこともありません。ネットの写真を見たり、中国のかたに聞いたり。そのうえ持ち主は倹約家で、使い古されてキセルの色や形まで変わってしまっているとなると、なかなか原文を読んでもピンと来ず悩まされました。

 

全体的にいつも考えさせられたのは、切れ味のある文章にするにはどうしたらいいのか、それと同時に、原文の持ち味を損なわずに、その場の雰囲気をありのままに表現するにはどうすればいいのかということです。結局、作品の中で満足のいくほどそれができたかというと、まだゴールは見えません。これは私にとって永遠の大きな課題でもあります。

 

武吉先生には長年お世話になり、今も勉強中の身なのですが、人に読んでいただくことを意識する大切さを痛感しました。翻訳でもどんな文章でも同じかと思いますが、人に読まれてこそ成り立つし、読まれなければただの紙くずになってしまいます。

 

最近は電子書籍が増えて、「紙の本」という言い方もするようになりました。私は子どものころから本の世界が大好きで、いつもそばに本がありました。本の手触り、ページをめくる楽しさを想像しながら今回の翻訳をさせていただきました。進めていくうちに中国語に限らず、世の中にはまだ知らないこと、わからないこと、誤解していたことが多すぎると気づかされます。でも、それがまた翻訳への新たなエネルギーになるのではないかと思っています。

 

最後になりましたが、未熟な私に快くお任せ下さった段躍中編集長、段景子社長、そして武吉塾でご指導くださる武吉次朗先生に心より感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 

東 滋子