日本僑報社

中根千枝東京大学名誉教授の『日中友好会館のあゆみ』紹介文

 

 

 

7月5日、日本僑報社は中根千枝東京大学名誉教授による『日中友好会館の歩み』について(著者紹介の代わりに)を配信した。『日中友好会館の歩み』は村上立躬前理事長の著書で、好評発売中だ。紹介文は以下の通りである。

 

 

本書は日本における日中友好交流の一大拠点である「日中友好会館(以下、会館)」の設立にいたる揺籃期から、半世紀にわたる足跡を記した貴重な記録である。「会館」は民間団体であるが、その成立には、日本の政界、財界、官界、学界からの推進者たちに恵まれ、他方、政体の異なる中国側(諸機関、個々人)との複雑な折衝のプロセスを経て実現したものであった。

 

著者である村上立躬氏(会館第4代理事長)は、三菱銀行の出身であるが、本部の担当業務にあって早くから主な推進者たちと接触する立場にあったが、1983年「会館」発足以来、その事務局長、常務理事として12年間実務執行の責任者となって業務全般を担当された。とりわけ、1959年頃から日中友好に力を注がれた初代会長の古井喜実氏(議員連盟会長)の志を体し運営につとめ、その後継者後藤田正晴氏(第2代会長)にも同様の敬愛をもって上司としてよく尽くされた。

 

私は一連の「会館」設立からその後の動きについて間接的に知らされていたが、村上氏を親しく知るようになったのは、歴史研究評議員会(1995─2004、本書159頁参照)以来であった。

 

日中友好などと簡単に言うが、実際は大小さまざまな難題をはらんでいるもので、日・中双方の間のみでなく、日本側の中国専門家と自負する人々の間でも、ときどきの問題に対する意見の違いなどで激論となることも少なくなかった。

 

そういうときに、「会館」代表として村上氏は同席されていたが、いつも意見は殆ど出されず、各人の意向をよく受け止めていられるようで、結果としておだやかな合意をみるに到った。

 

また村上氏は気配りのよい方で、その時々のニーズを誰よりも早く察知して手を打ち、全体の動きをつつがなくスムーズに行うことができた。

 

日本でも中国にあっても、与えられた状況をよく見られており、無理をせず、すべてを進行させる潤滑油のような力を持っていられる。常に客観的な見方をされているため、さまざまな日中関係における個々人の対応などについて、ずいぶん面白い、また滑稽な場面さえもよくみられている。

 

それらの一端は本書の後半部分にほんの少し見受けられるが、本書の性格上、残念ながら殆ど割愛されている。

 

「会館」にとって、このような人材を得たことは何よりの幸いであったし、その村上氏によって本書が出版されたことは喜びにたえない次第である。