【Focus 中国】

曾国藩と梁穏根氏 人材育成で共通点

湖南省婁底市 起業家も多く輩出

 

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130819/mcb1308190501004-n1.htm

 

 

 わが故郷は婁底(ろうてい)市である。湖南省のほぼ真ん中に位置し、人口は約430万人。湖南省は新中国建国の父、毛沢東など著名な政治家を多く輩出してきた。それだけではなく、近年は「湖南商人」といわれるほど、ビジネスにたけた人材も多く輩出している。婁底市も例外ではなく、代表的な2人の人物を紹介しよう。

 

 ◆優れた軍人思想家

 

 何といっても最初に挙げたい人物は、曾国藩である。曾国藩は、1811年11月26日に湖南省長沙府湘郷県(現在の婁底市双峰県)で生まれ、太平天国の鎮圧に貢献した湘軍(湖南地方の武装自衛集団)の創始者となった。曾国藩は有名な軍人というだけでなく、優れた思想家でもあった。かつて毛沢東が「近代人で、唯一尊敬している人は曾国藩だ」と語ったこともある。

 

 現在も読むことができる著書として『曾文正公全集』や『曾文正公手書日記』などがある。中でも家庭作りと子供の教育を語った家族宛ての手紙を一冊にまとめた『曾国藩家書』は、最も有名で一般の人々にも広く読まれている。

 

 このように、曾国藩は傑出した人物だが、文化大革命終了まではほとんど知られていなかった。

 

 筆者が初めて曾国藩の生家である「富厚堂」へ行ったのは2008年だった。「富厚堂」が中国の重点文物保護単位に指定された2年後のことだった。現在では彼は世界的に有名になり、「曾国藩研究」という学術雑誌も発行されている。また、09年に婁底市政府訪日団が初来日したのに合わせて、曾国藩の顔写真入り記念切手も初登場した。

 

 ◆三一グループ創始者

 

 もう一人は、三一グループという企業の創始者、梁穏根氏である。11年3月11日に起きた東日本大地震の際には、多くの中国人も支援の手を差し伸べた。中でも日本人に深い印象を与えたのは、福島第1原発で発生した放射能事故の救援のため、ポンプ車を無償提供したことではないだろうか。

 

 実はそのポンプ車を製造して無償提供したのが、梁穏根氏だった。依頼を受けた時、「全役員一致で無償提供を決議した」という。昨年2月に湖南省にある三一グループを訪問した当時の丹羽宇一郎日本国大使は、梁氏に感謝の言葉を述べている。

 

 梁氏は1956年、婁底市漣源の町で生まれ、83年に中南鉱業冶金大学(現中南大学)の材料学科を卒業した。83年から86年まで地元にある国営の兵器産業機械の工場に勤務した後、86年に独立し、地域名を冠した「漣源特殊溶接材料工場」を設立した。その工場こそが三一グループの出発点である。そして91年には3つの「一」、即ち「一流企業を創設し、一流の人材を育成し、一流の貢献を行う」という目標を掲げ、企業名を「三一」に改称したのである。

 

 その後、梁氏はポンプ車などを製造する三一重工を中心に、油圧ショベルやクレーン車なども手掛ける中国最大の総合建機メーカーにまで成長させた。氏個人も2011年度米フォーブス社富豪ランキングでは、93億ドル(約9061億9200万円)の資産をもつ中国一のお金持ちとなった。

 

 「三一」が世界トップレベルの企業にまで成長できたのは、単に利益を追求するだけでなく、一流の人材育成も目標に掲げたからではなかろうか。それは近代的な軍事技術の導入に加え、留学生の派遣など後進の育成にも力を注いだ曾国藩とも共通するところがある。(段躍中・日本僑報社編集長兼日本湖南人会会長)