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日本人ジャーナリストの特別寄稿 2年ぶりの中国、変化の探訪(3)“燃える”地方都市
ホテルから望む揚子江、右手が三国志史跡の北固山。杉山直隆氏撮影 中国新幹線は1時間余りで揚子江デルタのほぼ真ん中にある、江蘇省鎮江の駅ホームに滑り込んだ。鎮江は三国志に登場する「魏」「呉」「蜀」三国のうち、呉の根拠地として有名だが、日本人にはかつて隋の煬帝が一部を造った京杭運河と、揚子江が交差する場所と言った方が、地理的状況が分かりやすい。いまも揚子江南岸のここの港には、5万トンのコンテナ船が接岸し、この地の工業製品である木工建材製品、船舶機械、自動車部品を積んで、200キロ下流の東シナ海に運び出す。 最近、経済発展が著しい中西部の武漢、重慶は、揚子江を遡った、まだ上流にある。江蘇省の省都、南京はここから北京寄りに90キロの距離、新幹線に乗れば北京まで4時間足らず、また高速道路網がもっと整備されれば、山東省を経由して黄海に面した大工業都市の天津にも北へ700キロの距離で行ける。 交通網、物流ネットワークの要衝になる条件が必然的に備っており、しかも上海地区に比べると、まだ労働者の賃金が2,3割安いというのが、日本など外国企業の立地を進める地元政府の“売り”だった。 いまこそ、「工場を進出させるチャンス」と、当地で2か所回った鎮江新区、衛星都市の丹陽市経済技術開発区の参観会では、市幹部たちの声のトーンが一段と上がる。地方政府にとっては、将来の税収確保のために、工場誘致が最も確実で、効率的な増収策であることは間違いないから、その熱心さは理解できる。 「中国の地方は、いま燃えているな」。これが筆者の実感だ。 中国の一人当たりGDP(国内総生産)は全体ではまだ年4千ドル台。ここから見れば、確かにまだ発展途上国だが、北京、上海、広州など、先進開発地域は2万ドル近くなり、先進国レベルに達し始めている。その発展の理由が外国の投資をいち早く呼び込んだ積極的開発にあったとなれば、地方同士が競争するのは無理もない。鉾先は外国資本だけでなく、中国国内の優良企業に及んでおり、鎮江市幹部は「最近の出張は、海外より国内誘致が多い」と漏らすほど。官員の企業誘致競争は、民間のビジネスマンも顔負けだ。 鎮江新区の工場団地は、片側2車線の道路が整然と造られ、広々した用地のあちこちに日本企業を含めた国内外企業の工場が操業を開始している。周辺部ではまだ造成中の土地も少なくない。またここで働く工場従業員や外国人駐在者用の中層、低層住宅街区も用意され、緑も数多く植えられている。日本からは、自動車部品のKYB(カヤバ)、またイタリア企業などがすでに進出していた。 ホテルの高層の部屋の窓から、市街地の向こうに夕刻の日差しに白く光る、揚子江の川面が望めた。灰色がかっていて、初めはぼんやり対岸に見えた陸地の姿は実は中州で、もっとはるか向こうに対岸があるのだという。川を見下ろすような近いところに、小高い丘のような山が見えるが、そこが三国志で蜀の劉備が訪れ、呉の王だった孫権らと交遊を深めた逸話のある、史跡だという。魏の曹操をどう倒すかの密談も交わされたのかも知れない。 中国の過去と、未来への新たな発展の夢が交錯する、悠久の歴史の街。5年後にこの揚子江デルタ一帯がどんな変貌を見せるのか、一直線に突き進むのか、三国志さながら微妙な舵取りを迫られつつ進むことになるのか。開発に一途な地元関係者の話を思い起こしつつ、隣国、日本として黙って手をこまねいていないで、積極的に関与し力を出す時ではないか、川面を見ながら、そんな気がした。
整然とした道路に面した鎮江新区の工場。杉山直隆氏撮影 プロフィール 杉山 直隆(すぎやま・なおたか) 1968年朝日新聞社入社、盛岡、水戸、横浜勤務を経て、東京本社経済部記者。証券、貿易、自動車等機械、銀行、諸官庁取材を経験。思い出に残るのは、伊藤忠・安宅産業など商社合併、ロッキード事件、自動車の対米輸出自主規制交渉、1980年代の円切り上げをめぐる日米金融自由化交渉、銀行の海外進出・再編など。新聞・テレビの連携業務にも携わり、テレビ朝日映像常務を務めた。 神奈川県鎌倉市在住。日中関係のあり方・発展に関心を持つ。 |