日本人ジャーナリストの特別寄稿

2年ぶりの中国、変化の探訪(2)整い始めた交通網

 

広州豊田自動車工場の事務本館正面。広州豊田自動車提供

 

 

広州市の中心部から南シナ海にそそぐ大河、珠江の河口までは約70キロの距離。市内から伸びる広州地下鉄に乗って約1時間半、河口に近い同市南沙区にある、广汽丰田汽有限公司の真新しい工場を訪れた。トヨタ自動車と地元の広州汽車との合弁会社で、カリーナなどの乗用車、レジャーなどの多目的車を生産している。現在、年産20万台強。しかしフル操業すれば、倍近い生産能力を持つ大工場だ。東南アジア諸国も南シナ海を隔て、目と鼻の先。敷地内には樹木が整然と植えられ、陽に映えた緑が濃い。

案内してくれたトヨタから出向している総務担当の宮野勝実さんは「まだまだ中国国内市場へどう食い込み、伸ばしていくかが目下の課題。試行錯誤の連続です」と控えめに話すが、立地条件としては、すこぶる面白い。

帰路は、工場から高速道路で珠江デルタを一気に北上し、市内に戻る。そしてさらに北にある広州空港へ突っ走る。高速道路は片側3車線、上下線の中間帯にはきちんと樹木が植えられ、北京周辺の高速道路に比べ、建設時期が新しいせいだろうが、格段に整備が進んでいる。広州はもともと香港に近く、歴史的にも清朝時代から政治改革を求める民衆蜂起がしばしば起き、外にも目を開いた先進的な気風の土地柄。ホテルや駅で人に道を聞いたりするときにも、親しみやすさを感じた。

広州から上海へは飛行機で1時間。広州空港は市内からやや離れているのに難があったが、空港ビルは新しくて広く、搭乗手続きもスムーズ。日暮れ時に離陸したため、機内はビジネス客が多く、欧米人の姿も目立った。到着した国内国際線共用の上海虹空港は、開通した“中国新幹線”の上海虹駅と広いコンコースを隔てるだけですぐ隣接、空路、陸路をつなぐターミナルとして面目を一新していた。経済振興のためには、交通路の整備が如何に大切か、中国が十分に意識した跡がうかがえた。

翌日、ジェトロ(日本貿易振興機構)が企画した、江蘇省の自動車部品工場団地の参観ツアーに加わり、虹駅から初めて中国新幹線(中国では“高鉄”と呼ぶ)を体験した。発車時間真近かに案内放送があり、空港の搭乗口に似た改札口を通って、エスカレーターでプラットホームに降りると、ほどなく発車。列車内外のスタイルは日本の新幹線によく似ており、音もないといった感じで動き始めた。目的地は上海と南京の中間にある、工業都市・鎮江駅。途中、無錫で停車したほかは速度を一気に上げ、気が付くと車内の速度表示は時速350キロを示した。しかし350キロに達したという感覚はない。揺れがなく、極めて安定した運行。日本の新幹線の運行速度は300キロ超ぐらいだから、それを超えている。

沿線には騒音被害の声も出ているという話を後で聞いたが、高架軌道・線路の建設技術は確かだと思った。途中、キャビン・アテンダントの女性が温かいコーヒーの販売に来たが、一杯30元近い。少し割高と思ったが、新幹線の乗車料金自体が普通の特急列車に比べて、一般市民感覚から見ると、かなり高いレベルと聞いたから、料金水準にまだ課題があるということかも知れない。

帰国した後、6月末に北京―上海間の新幹線が開通したが、所要時間は当初予定の4時間半より少し長い4時間48分。運行の安全を考慮し、最高時速を305キロ程度と日本の新幹線と同じぐらいに減速した結果と聞いた。

しかし、経済発展に大きな影響を持つ、中国の国内交通手段が高速道路の整備を含め、先進国レベルに達し始めたことは確かだと感じた。

 

鎮江駅に到着した中国新幹線”和諧号”。真新しい車両、駅舎が印象的。

ジェトロ上海事務所撮影。

 

 

プロフィール

杉山 直隆(すぎやま・なおたか)  

1968年朝日新聞社入社、盛岡、水戸、横浜勤務を経て、東京本社経済部記者。証券、貿易、自動車等機械、銀行、諸官庁取材を経験。思い出に残るのは、伊藤忠・安宅産業など商社合併、ロッキード事件、自動車の対米輸出自主規制交渉、1980年代の円切り上げをめぐる日米金融自由化交渉、銀行の海外進出・再編など。新聞・テレビの連携業務にも携わり、テレビ朝日映像常務を務めた。

神奈川県鎌倉市在住。日中関係のあり方・発展に関心を持つ。