日 本 一 週 間 の 日 記

 

11回中国人の日本語作文コンクール

最優秀賞(日本大使賞)受賞者

山東政法学院四年生 張晨雨

 

福田康夫元総理の事務所にて

 

2月21日(日)

午後1時、私は羽田空港に到着した。バスに乗って、初めてみる日本の風景に、期待と不安の入り混じった気持ちで、日本での生活を想像してみる。午後3時ごろ、私は池袋に着いた。荷物を置いて、すぐ段先生と一緒に西池袋公園で週1回の中国語コーナーのイベントに参加した。その日は30人近くが参加していた。中国語の勉強を始めたばかりの人もいるし、中国語が中国人と間違えるほど流暢な人もいた。イベントは8年間欠かさず続けられているそうだ。私は参加者のみんなと中国語で話したり、連絡方法を交換したりして、これからも連絡を取り合いましょうと約束した。

 

2月22日(月)

今日からが正式な訪問の始まりだ。午前10時半、私と段先生、張先生は一緒に自民党本部に着いた。自民党本部は日本の政治の心臓のようなものなのに、警備員が少なく、安全検査もなかった。これだけで私はずいぶん驚いた。「こんな重要な場所なのに、どうして警備がこんなに簡単で大丈夫なのだろうか」。本当に不思議な気がした。着いて5分も経たないうちに、宮本大使とお目にかかることができた。来る前は「初めて政治家の方を訪問して、何を話せばいいのだろうか」「政治家の方は、きっと恐い人ばかりだろう」と緊張していたが、予想に反して、宮本大使はとても親切な方であった。

 

応接室で自民党の高村副総裁と宮本大使に日本語作文コンクールの受賞作品集を進呈した。宮本大使は私たちに自民党の昔のリーダーの話をしてくださった。しばらく、その興味深いお話をうかがった後、宮本大使は自分の車で全日空ホテルに連れて行ってくださり、昼食になった。宮本大使は私に本物の日本料理を味わわせようと、懐石料理をご馳走してくださった。授業で懐石料理の写真を見たことはあったが、実際に食べてみると、一つひとつが綺麗に工夫され、料理の量は最初は少ないと思ったが、次々と出てくる料理に、すっかりお腹が一杯になった。宮本大使は中国語で私に話しかけて、日本語をしっかり勉強し、今後、日本に留学してもしっかり頑張るよう励ましてくださった。

 

午後、私たちはドン・キホーテ本部に着いた。少し早かったので、ドン・キホーテのお店を見ると、商品の値段が中国国内より半分ぐらい安いことに驚いた。そして高橋常務が私たちを迎えてくださった。高橋常務は私が奨学金をもらうことを知って、「じゃ、ドンキの商品をたくさん買って!」と私に言った。高橋常務の冗談のおかげで、会話は和やかな雰囲気で進んだ。高橋常務に初来日の印象などを報告し、プレゼントとして、ドン・キホーテの商品をいただいた。訪問が終わると、高橋常務はエレベーターまで送り、ドアが完全に閉まるまでずっとお辞儀をして見送ってくださった。「日本人の礼儀正しさはほんとにすごい」と感じた。そして、北京で私を面接した二人の先生とお会いした。お二人人は私に「最優秀賞をもらって、奨学金をもらった人は君が一人目ですよ!もっとがんばってください」と祝賀してくださった。先生たちの励ましに対し、私は非常に感謝し、心からがんばりたいと思った。

 

ドン・キホーテの次は、東芝本社におじゃました。国際交流財団の幹部を訪問し、東芝の漫画をいただいた。 有名な東京タワーと増上寺のそばを通り、午後5時半ぐらいに島田総研に着いた。島田学長や若い日本の創業者たちとお目にかかった。島田学長は中国語を勉強しておられ、とても親切に私に話しかけてくださった。島田校長はより多くの中国の大学生が日本の青年と交流し、友達になることを期待していると話された。最後に、私たちは連絡先を交換した。私の日本語はまだまだだが、言葉の壁を克服して交流でき、互いの理解も深まったと思う。きっと、今日会った日本人の方々と友人になれると感じた。

 

2月23日(火)

午前十時半、私と佐藤先生、段先生は、鳩山由紀夫先生の事務所に向かった。鳩山先生とお会いして、作文集を進呈した。私の想像と違う、鳩山先生はとても謙虚な感じの方であった。鳩山先生は自分が北京の大学で鳩山奨学金を設立して、中国の学生を日本に呼んで日中学生交流を推進したいとおっしゃった。鳩山先生がこんなに日中友好を重視しておられることを、私は全く知らなかった。今の日中関係はあまりよくないのに、日中友好のため、中国の若者を支える力になろうとする姿を見て、とても感動した。

 

昼ごろ、私たちは東京大学に到着して、高原教授と朝日新聞の大野さんにお会いした。 大学の食堂で昼食を食べた。約1時間の訪問だったが、二人のお話は大変勉強になった。

 

午後、私たちは国会議員の林芳正先生を訪問して、作文集を進呈した。その後、私たちは丹羽大使の事務所に伺った。とても和やかな雰囲気で迎えていただいた。丹羽大使は非常に親切で、自分の中国での経歴などを話してくれ、自分がサインした本と馬の絵のついたお皿をくださった。大使は私が3年余りで日本語を身につけたことをほめてくださった。私は丹羽大使の本を読み、また丹羽大使に感想をお伝えする機会があることを期待している。

 

午後4時半、私たちは虎ノ門にある福田康夫元首相の事務所に伺った。福田先生は「将来何をしたい?」と質問し、私の日本留学の計画を聞くと、学校の選択についてアドバイスをしてくださった。事務室の本棚に習近平主席の本など、中国に関する本がたくさん並んでいた。福田先生はいつも中国のことを勉強しておられると考えながら、先生はこんなにも日中友好を重視しているのだと感動した。

 

2月24日(水)

朝9時半、私は段先生の事務所で東京新聞の五味記者の取材を受けた。取材が終わった後すぐ段先生と一緒に記者クラブに行って、作家の石川先生と昼ご飯をご一緒した。先生のご厚意にあまえて、私は部屋に飾っているケ小平と朱鎔基の写真をバックに撮影することができた。「これは今までにはないことだ」と先生が言われた。多分、私の緊張と不安を見抜いたのだろう。石川先生は「緊張しないで、そのまま素直に自分の意見を表せばいい」と言って、私を励ましてくださった。

 

午後、参議院副議長の輿石東先生を表敬訪問した。一緒に写真撮影する時に、私はただの学生なのに、輿石先生は私を椅子に座らせ、ご自分はそのまま立っておられた。先生は地位のあるかどうかを問わず、平等に私たちと話し合ってくださったのだと感じた。先生からは、謙遜という人間にとって大切なものを学んだ。また輿石先生の地元・山梨県の特産品であるという、かわいらしい鹿革の小物入れをプレゼントしていただいた。中国で大切に使わせていただきたいと思う。先生のオフィスを出た後、秘書の方が、参議院議長の接待室や議事堂を案内してくださり、日本の国会の知識も学んだ。

 

続いて、外務省の木原誠二副大臣を訪問した。木原副大臣は今回の受賞に対するお祝いを述べてくださり、自分は中国の歴史が好きで、中国は日本にとって重要な隣国であり、若者同士の交流は極めて重要なことなどの思いを話された。また、私に自分の目で日本の姿を見るよう話し、日中友好の架け橋として活躍できることを期待するという話に、私はとても感動した。

 

今日の最後のイベントは朝日新聞本社の取材であった。坂尻さんは早めに出迎えてくれ、私たちを連れて各部門を見学させてくださった。朝日新聞で、私は今村さんの取材を受けた。今村さんの中国語はすごく流暢で、取材もすべて中国語でやった。いつか私の日本語もこんなレベルになればいいのにと思った。

 

その後、私は銀座に行った。銀座で着物姿の女の子が見えた。着物は日本の一つの象徴として世界で有名だ。しかし日本とは逆に、歴史が長い中国は文化大国と呼ばれているのに、中国を代表するチャイナドレスを中国で着ている人は誰もいない。伝統文化に興味がある人も少なくなり、これは悲しいことではないかと思った。

 

2月25日(木)

午前十時半、私たちは上智大学に元駐米大使の藤崎一郎先生を訪ねて、一時間半もお邪魔した。先生は私が翌日ラジオで出演することを知って、「ラジオ出演の練習として、事前に私と話せば?」と言った。藤崎先生からはスビーチに対する丁寧なご指導をいただき、話し言葉と書き言葉の違いに気をつけるようにと言われた。

 

午後、二階俊博先生を訪ねた。二階先生の部屋にはパンダのおもちゃと中国の刺繍など中国風のものがたくさん置いてある。二階先生の話から、先生が中国をお好きなのだと感じた。出版社のパンフレットを先生にご紹介した時、先生はこまかく見ていた。「君たちは昨日来ればよかった。出版社の本をテレビで宣伝してあげたのに」と言われた。先生はとてもお忙しかったけれど、私たちのことをこんなに大切にしてくださるとは思わなかった。先生はただ口で言うのではなくて、誠心誠意、日中友好のために、力を入れて、できるだけのことをやる。外で四つの国の大使が待っていたのに、もともと15分の面会予定がいつの間にか10分間も延びていた。先生の仕事をお邪魔してはいけないと思って、私たちは自らいとま請いをした。離れる前に、先生は天皇の菊紋の入った名刺入れをくださって、一緒に写真に写った。とても中国を大切にしてくださる方だと思った。

 

衆議院にもどる途中で、反戦活動をしていたおじいさんやおばあさんと出会った。そのような反戦活動は週1回だそうである。このおじいさんやおばあさんたちの家族はきっと戦争の苦痛を経験したことがあるのかもしれないと思った。その時はとても急いでいたので、デモを通り抜け、おじいさんやおばあさんに「平和が大事」と一語だけ話しかけた。おじさんやおばあさんたちも「平和が大事」と返事してくれた。平和で幸せな将来を望んでいるのは、両国民の念願だと思う。

 

衆議院の会議室で、たくさんの記者とあいさつし、間もなく近藤昭一先生もいらっしゃった。近藤先生は中国通、とても親切でユーモアのある方だと思う。さらに私と中国SNSのウィチャット(微信)の番号を交換し、自撮りした。近藤先生はウィチャットを使う中国人がたくさんいるので、ウィチャットを通じて、多くの中国人と交流することができると話した。近藤先生は「今の日中関係は尖閣諸島などの政治問題で氷点になっているのは仕方のないことですが、このような民間交流が極めて重要だ」と話された。先生のお話の通り、日中の民間交流はとても大切だと思う。民間交流のおかげで、お互いの本当の姿が見え、誤解も少しずつ小さくなっていくと思う。

 

夜、同じ作文コンクールに入賞した陳星竹さんや岩楯先生と一緒に浅草寺に行った。日本の風神、雷神などのお寺の文化を教えていただいた。そして、先生に案内していただいて、浅草寺の老舗で初めてもんじゃ焼きを食べた。その店は日本人でもあまり知られていないお店だそうであった。店にテレビ、ネットなど現代風なものはなかった。お店のおばさんは「この店の作り方は冷蔵庫のない時代の作り方だよ」と言った。その言葉におばさんの誇りを感じた。

 

2月26日(金)

今日は段先生のおかげで、ずっと好きだという思いを持ち続けている関口知宏さんにお会いできた。私はNHKのドキュメンタリー番組「関口知宏の中国鉄道大記行」を通じて、関口さんを知った。番組の中では、中国人の私でも知らなかった町がたくさんあった。風景がきれいで、人々は親切で、見知らぬ人を迎えることも好きだ。私に深い印象を残したのは、あるおじいさんの言葉だった。おじいさんは関口さんが日本人だとわかった時、関口さんの手を握って「日本人と中国人は同じ人間同士で、中日友好が一番大切だ」と話した。「中国人は日本が嫌いだ」と思う日本人は多分たくさんいると思う。「みんな、日進月歩の中国や、友好的な中国人を見に来てください!」。私はそう叫びたいと思う。

 

午後5時から、NHKでラジオ番組の生放送に出演した。放送の前、解説員の加藤さんは答えの内容についていろいろと私と検討し、私を励ましてくださった。初めてのラジオ出演なので、緊張しすぎて落ちつかなかった。15分の出演だが、まるで1時間かと思うほど長かった。放送終了後、すぐ視聴者からのコメントを受け取った。コメントは一つしかなく、少し残念に思った。次は中国語番組の録音であった。録音は1時間以上かかった。担当の小山さんは非常に面白くて優しかった。録音の間に私の意見も聞いてくださり、中国語の文法の質問をしてくれて、大変感動した。この中国語の番組は3月6日に放送予定だから、中国に戻るわたしはたぶん聞くことができず、とても残念だ。小山さんの気遣いと理解にとても感謝している。

 

2月27日(土)

午後3時、日本教育会館で第1回中日教育文化交流シンポジウムに参加した。今回の研討会で、以前の受賞者の先輩たちとお会いして、みんな素晴らしいと思った。みんなは日中関係に対する自分の意見を発表し、反日ドラマにも触れた。確かに反日ドラマは今の中国のテレビでよく見られるが、ドラマのストーリーが事実だと信じている人は少ないと思う。そういうドラマを見ても、暇つぶしをしているだけだと思う。長い時間を経ても、変わらない唯一の真理は、両国民が平和を祈っていることである。

 

最後の送別会で、私は日本教育会館の赤岡先生とメールアドレスを交換した。赤岡先生は「中国の学生を応援したい」と言った、今年の8月下旬に土井先生と一緒に中国行く予定を教えてくださった。その時またお会いできることを楽しみにしている。

 

今日は日本滞在最後の日で、瀬野先生のお宅でホームステイを体験し、普通の日本家庭の雰囲気を味わわせてもらう予定になっていた。初対面の日本人のお宅でホームステイをすることは、全然体験したことがないので、多少不安だった。しかし帰る途中、瀬野先生がずっと中国語で話されたので、不安な気持ちもだんだんなくなり、落ち着いてきた。私たちは先生のお宅に着いて、家族を一人ひとり紹介してもらった。日本滞在の感想や留学のことをたくさん話し合った。瀬野先生は私がアイドルグループ「嵐」のことが好きということを知って、嵐のTシャツと写真集をプレゼントしてくださった。一番感動したのは、長男のお嫁さんが徹夜して私に研究計画書の資料を集めてプリントしてくれたことである。初対面の人にもこんなに優しく細かいことまで用意してくださることに、とても感動した。今度日本に行ったら、またごあいさつに伺いたいと思う。

わずか1週間の間に、たくさんの方々と会うことができた。忙しかったけれど、日中各界の人々と交流することができて、大変光栄なことだと思う。みんな、とても親切であった。今の日中関係はあまりよくないけど、これらのみんなの存在のおかげで、私は中国と日本の関係がいつかよくなっていくことができると信じている。私は日本での見聞をみんなに伝えたいと思う。中国であろうと、日本であろうと、両国のたくさんのマスコミがお互いの悪口を言うばかりで、民衆を騙している。自分の目で見たり、身をもって試したりすると、必ず違う答えが出てくる。お互いの交流が深まれば、誤解も少しずつ小さくなっていくと思う。日本滞在の1週間は私にとってとても貴重な体験であった。

 

帰国してからもうすぐ1週間になる。これからもみんなの期待と応援に応えるよう、日本の大学院を目指してがんばりたいと思う。日本に行って、日本のことを勉強して、日中友好のために少しだけでも力になりたいと思う。

 

最後に、再び日本滞在の間でお世話になった先生方、段先生に深い感謝の意を申し上げたいと思う。作文コンクールがますます発展していくことをお祈りします。