成長の機会を与えてくれた皆さんに感謝を

 

謝 林・鹿児島大学卒業生

 

 

 

来日してもう6年間が経つ。つい先日、博士号を取得したことを段躍中先生ご夫妻に報告したところ、ありがたいことに作文コンクールに参加してから今までの話をまとめてみませんかとの依頼を頂いた。そして少し恥ずかしながらも、この文章をつづり始めた。しかし、パソコンに向かって何を書くのかを考えてみたら、頭の中は真っ白だった。何も思い出せないのではなく、いっぱいありすぎて、どこから書き始めたらいいのかわからなかったからだ。

 

 

 

意外な受賞と面接合格

 

私は、2014年第10回中国人の日本語作文コンクールに参加した。3等賞だった。面接会場だった12月の北京はとても寒かった。君は3等賞だから間違いなく落とされるだろうと指導教員は言った。私もそう思っていたが、やってみないとわからないという心の声もあった。人生で初めての面接だった。スーツは先生に貸してもらったものだった。日本のアニメだけでなく、当時の私は日本の演歌も大好きだったから、審査員の前で石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を歌った。運よく私は合格した。日本文化に対する情熱と誠実さが審査員の心を動かしたのかもしれない。そして、留学する機会を得た。

 

 

奨学金の支援があっても

 

国を出ての一人暮らしは、決して容易なことではなかった。授業料、家賃、光熱費、通信料金など、毎月の出費は自分で管理しなければならない。奨学金をもらったら、何もせず楽に生活できると思う人がいるかもしれないが、それは誤解だ。日本に来てすぐにアルバイトを見つけなければならなかった。最初に応募したのはコンビニの夜勤バイトだった。夜10時から朝6時まで働いた。なぜ夜勤を選ぶのかとよく聞かれるが、昼間の授業に影響は出ないし、昼間より給料が高いメリットもあるからだ。他にも、飲食店の皿洗い、翻訳など様々なアルバイトを経験した。机の引き出しには6年分のレシートが保管されている。何かの収集癖と思われそうだが、日付の順番で一枚ずつ綺麗に綴じられたこれらの小さな紙は、私の毎日の記録だ。

 

 

 

成長する機会を与えてくれた皆さんに感謝

 

ビデオ通話ができても親元を離れ、異国で暮らすとなれば、時にその孤独感と戦わなければならない。バイト先で日本人の友達を作るために日本語を猛勉強しなければならない。順調に卒業するために、膨大な資料を調べて論文を日本人と同じレベルで書かなければならない。このすべてに自分で対応し、様々な問題を自ら解決していく。苦しいからもうやめようと何度考えたことか。なんとか乗り越えた。そして、数多くの苦労をした反面、自分も成長していた。この未知の世界で成長する機会を与えてくれたのは私の両親、指導教員、作文コンクールを主催する日本僑報社、奨学金を提供して下さった安田奨学財団だった。心からすべての人に「ありがとう」と言いたい。

 

親が元気なうちは、私は引き続き日本に残って仕事をすることにした。これまで私は日本の皆さんから助けられてきた。だからこそ、この恩を忘れず、これから一生懸命に働いて、自分が接する地域社会に還元したいと思う。