カルタ•カンタービレ
-続編•明日の旅へ-
第9回 中国人の日本語作文コンクール日本大使賞受賞者
国際関係学院 李敏
 
 日本から帰国の途に着き、もう二週間経った。本来ならば、すぐいつものように、メモリーを一気に引き出し、文字の形に換えるはずだった。旅の中で誕生した普段とは違う多彩な気持ち、不思議な出逢い、そして心を動かした一瞬一瞬、その思い出を永遠に残したい。自分の記憶力に自信があっても、言葉の力にまさるものはない。ならば、忘れないうちにメモしておこう!そう思ったからだ。けれど、今度の旅は、それだけでは、なんだか物足りないような気がする…
 今は中国の旧正月―「春節」の時期。窓から、花火の彩りが目に映る。だが、花火はどんなにきれいであっても、結局一瞬で消えてしまう儚い存在だ。まるで帰国した当時の気持ちと同じだった。「あのね!私ね!…」。今回は、夢でも見ているように思うほど、経験したことがあまりにも多かった。そしてそのすべてを、一気に皆に言い聞かせたかった。それはいわゆる「感」と言うものだろう。けれど、せっかく「感想」と名づけられたのだから、単純な感情の塊にはなってもらいたくない。過去の自分が感じたもの、考えたこと、そのメッセージを未来の自分へ届けるための何かを、文に綴りたいのだ。ならば、もう少し沈殿してもらおう。自分勝手にそんなふうに決めた。
 春節の半ば。屋外ではいまだに爆竹の音がする。でも、心の中の花火はもう沈んだ。深呼吸。思い出が湧いてくる。

「めぐり逢ひて  見しやそれとも わかぬまに」
~出逢い~
奇遇。
 交差点で、たとえ一度方向を間違っても焦らず、正しい道を歩いていくように、周りの風景をじっくり眺めよう。そこには、意外な出逢いが君を待っているのかもしれない。
 神保町。本を探しにそこに行った。本屋さんがあまりにも多くて、うろうろしている時、ライトアップされたきれいなショーウインドーの中の赤い絨毯の上に、ずらっと並べてある「かるた」がきらきら光っている風景が目に映った。「もしかして、かるたの専門店?すごい!」と思い、入ってみた。ドアを開けた瞬間、かるたの世界に吸い込まれた気がする。真正面に「日本のカルタ略史」の看板が、かるたの由来と歴史を物語っている。「寄席かるた」、「郷土かるた」などなど。名前さえ知らない伝統的なかるたの実物が全てきっちり陳列している。
 さらに二階には、百人一首かるた関連の資料と貴重な札を展覧している「小さなカルタ館」もあった。小規模な展示べースだが、中身は盛りだくさん。運営はお年寄りの夫婦で、私は中国人だと知り、このベースを作ったきっかけとかるたへの思いを、熱く語ってくれた。
 店を離れ、しばらく経って、お婆ちゃんが追いかけてきた。息が途切れ度切れで、「これ、プレゼントね。また会おうね!」とオリジナルの冊子を手渡してくれた。一瞬、目がうるっとした…
 爺ちゃん婆ちゃん、お元気で。また、来るね!

機縁。
 私はかるたのおかげで、いやいや付き合っていたはずの百人一首と、もう一度知り合い、恋に落ちた。かるたは私の人生をカラフルにしてくれた。一人ぼっちの練習から、仲間と一緒に対戦の楽しさを味わい、失敗をともに反省し、勝利の喜びを分かち合えるようになった。そして今回の訪日で、昇級に係る真剣勝負も経験した。結局は敗れたものの、その代わり、いろいろ考えさせられ、真のかるた選手に、もう一歩近づけたような気がする。
 各自のスタイルを持つ選手たちと対戦することによって、普段隠れていた自分の弱みを発見した。ずっと憧れているかるた界の大先輩や上級者から、暖かい応援の言葉、そして一言漏らしても惜しいほどの経験談をいただき、頭も心もいっぱいとなった。
 熱い期待を背負っていたのに、試合の模様は観客席で見ることしかできない自分がもどかしい。皆、本当に申し訳ない!でも私、かるたをずっと好きでいるから、もっと強くなるよ!きっと!

希望。
 このたびは、初めての日本滞在ではないけれど、本格的な日本のお家で、いままで経験したことのないホームステイを体験した。泊まったところは、前重慶総領事の瀬野清水さんのお宅だった。瀬野さんは中国駐在期間が25年もあり、大変経験豊富な外交官だ。こんな方に一日お世話になることは。楽しみながらも少しどきどきしていた。緊張気味にあいさつしたら、「こんばんは」と微笑み、日本語の発音を褒めてくれた。

 「瀬野さんこそ中国語がお上手だと聞きましたが」
 「日本に戻ってから、中国語を使う機会がなくて、だんだん話せなくなったよ」と照れ笑いで答えた。どきどき感が一気に溶けた。
 「じゃあ、中国語でお話しましょうか」
 「好啊!」

 その後は、違和感がまったく感じられない中国語で、ずっと話しかけてくださった。
翌日の朝、リビングから赤ちゃんの笑い声がして、階段を降りたら、床の上に、瀬野さんのお孫さんが大きな笑顔を見せてくれた。「かっ、かわいい!~」と思わず声を上げた。  「ねぇ!パンダみたいでしょう!」後に来た瀬野さんは、つい日本語が零れた。
赤ちゃんはいろんなものに譬えられたけれど、「パンダ」は初耳だ。でも、話を聞いた瞬間、パンダの可愛い姿が「パッ!」と頭に浮かんで来た。

「本当!似てますね!」

 自分のお孫さんを、「パンダ」に譬えてくださり、中国人の私は本当に嬉しく、そして感謝している。
「後に聞いた話で、瀬野さんは現在、東日本大震災被災地の子供達に明るい笑い声と感動を与えたいとの思いで、「パンダ」を被災地区の仙台市に招くためのお仕事をされていると伺った。被災地の子供たちが心から楽しみにしているパンダが一日も早く来てくれるようにとの熱い思いがずっと胸に潜んでいるとつくづく感じている。そして私も、可愛いパンダが子供たちのもとにこられるよう心から祈っている。」

パンダ君、「パンダ」みたいにたくましく成長して、立派な男になってくださいね!

  「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」
  はっきりとその姿は見えなかったのに、すぐ雲のなかに隠れてしまう月のようなあっという間の出逢いだった。けれど、前に一度、後輩に教わったことがある。彼女がある時、何事かを機縁に、新たな出逢いに恵まれることを「縁の運動」と言った。今度のさまざまな出逢い、そして感動、その一つ一つが、まさに「縁の運動」ではなかろうか。
皆さん、ありがとう!出会えて本当によかった。

「難波津に 咲くやこの花 冬籠り」
~絆~
  言葉のぎこちなさも和気藹々の雰囲気に和んだ漢語角の新年会。
「愿中日两国世代友好!」のメッセージをこもったサプライズの花束。
百首の歌の思いより、遥かに重みを感じる、プレゼントのかるた札。
大会で初勝利した時、中国から来たことを知り、「頑張ってください!」と対戦相手からのエール。
不器用な私を、ずっとずっと見守ってくれている遥か彼方の国にいらっしゃるかるたの恩師。
わずかな時間しか一緒にいられないと知りながらも、会えるだけで嬉しいと、わざわざ仕事の都合を調整したり、東京まで駆け付けた方々。
「友好」を、だれよりも期待しているからこそ、「友好」など口にする先に実行に移し、黙々と「華僑」と「母国」を繋がる橋渡し役。
今まで一度さえ中国に来られたことないけれど、長年、学生交流のため走り回る姿。
そして、
ご多忙ながらも、貴重な時間を割いていただき、親切に励みの言葉を送ってくださった方々…

 中・日・韓三ヶ国演劇人が、芸術の目線から未来に向けて発信した作品「祝/言」の終わりに、共同の願いを語った。「鳥は、空にぶつかってもケガはしません」なぜなら、「空には境目などない、ずっとどこまでも繋がっている。」心に沁みるセリフだった。
中日両国は、「一衣帯水」の隣国だ。けれど、それだけではない。そう。海で、空で繋がり、芸術も文化も、そして人間の深い絆でずっとずっと繋がっている隣同士だ。時の流れのなか、この絆は、強くなりこそすれ、色褪せることは決してないだろう。

 
  「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は(を)春べと 咲くやこの花」
  かるた大会の時、序歌として、試合の始まりを高らかに宣言するかのように一番最初に詠い上げられ、百人一首と深いご縁のあるこの一首。「歳寒三友」の一つである梅は、寒い冬を耐え一番先に咲く花で、春はもうすぐやって来ることを知らせる象徴的な存在だ。「冬」を経験したからこそ、誇らしく花が咲き、馥郁たる香りで人々を魅了する。
 「国之交在于民相亲」。国の関係は、人同士の関係で大きく左右されると思う。そして、どんな時期においても、中日両国国民の多くの皆さんは、ずっと熱い思いで結ばれていると感じる。だから、その思いをこれからも深めていけば、必ずや、春の訪れを迎えられると信じよう!

 学校を卒業し、中日文化交流の仕事に携わると心に決めた。新たな絆を結び、両国国民に笑顔を届けるような職場で、「かささぎになる」約束を果たし、そして今度こそ、お世話になった方々に感謝のメッセージを伝えたい、「ありがとう」のかわりに。 



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