日中交流を通して

私は未来を創る架け橋になりたい

 

天津外国語大学 欧華慶

 

 

 

 

小学3年生の時、兄が転写していた平仮名を見たのが、私と日本語の最初の出会いでした。私が平仮名を見た時、中国語の筆画と類似する部分があり、柔らかく滑らかな字体だと感じました。そして、大学進学を決める時、初めて平仮名を見た時の感情を忘れられず、日本語選考を第一志望にしました。当初の私は、私の人生を今後の大学4年間が、大きな影響を与えるとは思ってもいませんでした。

 

大学に入って日本語を勉強し始めてから、日本へ留学に行くことが私の目標となりました。しかし、家庭の経済状況が原因で、この夢を心のどこかにしまい込んでおり、いつかこの夢が本当に現実になるとは、当時は想像もしていませんでした。奨学金の資格を取得したことは、私にとって夢に一歩近づけたと感じたできごとでした。この貴重な機会を提供してくださった作文コンクールの主催者と安田奨学財団のスタッフの方々に感謝しています。この経験は、今後、自分の目標に向かって努力し続けるための大きなモチベーションとなりました。

 

私の作文は、コロナ禍で日本の友人と毎週WeChatで電話をするエピソードについて書きました。今でも毎週の電話は欠かさず続けています。この経験について書いた作文は、2021年の第17回中国日本語作文コンクールで入賞することができました。しかし、入賞したことよりも、私にとってうれしく思うことは、このコンクールを通して多くの方々に、私たちのエピソードを伝えられたことです。以前は、環境や文化、バックグラウンドも異なる地で育った者同士が、こんなにも深い友情が芽生えるとは想像もしていませんでした。しかし、毎週の電話で嬉しかったことなど、その日あった出来事を共有し、時には相談をすることもあり、私たちはお互いの存在が大切なものへと変わっていきました。 このことを通して、言葉や文化の壁よりも、互いの寛容さと理解、優しさこそが、人間関係を築く上での基礎になるのだと学びました。

 

受賞後、私は日本僑報が主催し、段躍中先生が司会を務める「日中ユースフォーラム」に参加しました。共通の思いを持った中日両国の若者のスピーチを聞き、感慨深く改めて考えさせられることが多くありました。現在の日中関係はあまり良くないとはいえ、時代の急流の中で、実体験を通して互いの温かさを感じている人はたくさんいます。例えば、日本のSNSに積極的に動画を投稿した中国人女性、中国で中国語講座を開いた日本人男性、毎年のコンクールを積極的に取り組んだ段先生、各界のメディア、そして中国大使館や日本大使館に至るまで、多くの方々が携わっており、中日友好のために努力している姿を見て感動しました。 私一人では微力かもしれませんが、同じ思いを持つ人が一致団結すれば、海を超えた日本と中国の友好の架け橋がうっすらと見えてくるような気がしました。

 

 

 

 

作文コンクールの受賞後、安田奨学財団の日本留学奨学金に応募する機会を得て、幸いなことに書類審査と面接に合格し、20221月に留学奨学金の受給資格をいただきました。そして日本語力を高めるため、大学4年生の時に日本語翻訳のインターンシップに参加し、多くの日本人の同僚と交流する中で、皆親切で日本語力の低い私を励ましてくれることもありました。同時に、翻訳として活躍している多くの日本語学習者の方々と出会い、この環境は自分自身を大きく成長させてくれました。この貴重な経験を通して、大学進学を決断する時、日本語を専攻したことに間違いはなかったと改めて実感しました。今後、さらに日本語力を高め、その能力を活かし日中交流のために貢献をすると決めました。

 

大学卒業後、インターンシップを終え、日本留学に向けた半年間の準備期間を経て、今年の4月に日本の大学に修士として入学します。日本語教育を学び、将来は日本語教師として、日本語学習者にこれまで学んできたことや、経験を広めていくことが私の目標です。これまで多くの方々に支えられてきました。次は私が支える側に立って、人の役に立ちたいと思っています。日中間の架け橋づくりのために、私がその架け橋の一部となって、多くの人がこの広い世界に飛び出せるチャンスを作りたいと思います。

 

 

※中国語版はここ