日 本 一 週 間 の 日 記

8回中国人の日本語作文コンクール日本大使賞受賞者

湖北大学四年生 李欣晨

 

記録写真特集

 

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 今日の朝、短期留学の学生たちと一緒に上智大学に行った。岩楯さんと会い、スケジュール通り、参議院議員会館へ向かった。正直に言えば、ただ一人学生の自分がこのような高い地位にいる先生と会えるのは、想像しても不思議なことである。段先生と顔を合わせた後、公明党参議院議員の西田まこと先生の事務室に着いた。先まではまだ穏やかな心もふっと張り詰めるようになった。先生はどのような方であろうか、会ったらどうすればいいのかなど、いろいろな問題が頭の中に浮かんでいた。さんざん迷ったが、ようやく自分のわずかな力でもできることを見つけた。失礼なことをしないようと決心した。しかし、先生と会ってから、前の緊張感が談話の進みにつれてなくなった。非常に親切で親しやすい人であるから。私の言うことをじっくりと聞いてくれたことに、ありがたかった。どのような地位でも、まず相手を自分と平等な人にしてコミュニケーションを進めるような感じがした。人間同士の交流は言葉だけでの交流でなく、心の交流も重視すべきだと痛感した。

午後、朝日新聞の本社に行き、記者さんの取材を受けた。日本に来たのはまだ一日未満だから、日本語で自分の思うままに表現できないのは、一つの問題となった。そういう時こそ、日常の学習において、単語を積み重ねるの大切さが分かった。しかし、日本語との触れ合いが深くなればなるほど、このような基本的なことをかえって忘れてしまった。次いで、国際貿易促進協会の大谷さんの取材も、語学力不足な感じであった。それにしても、がっかりしていない。能力不足であるこそ、一生懸命努力する価値がある。

夜、上智大学へ歓迎会に参加した。留学生や中国語に興味を持つ外国の学生たちと、自己紹介をしたり、名刺交換をしたりしたのを通じて、友達となった。この広い世界において、時間が短くても、方式が違っても、様々な人と邂逅できることは一種の縁があるから、その奇妙な因縁に感謝すべきだ。今日は本当に充実な一日であった。

 

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 今日一日は自由活動の時間だから、少し朝寝坊をして、上智大学の北門で岩楯さんに会って、東京タワーへ向かった。雨が降り出したせいで、活動範囲が縮んだが、いい気持ちは全然影響されていない。そして、目的地に着いた後、雨も止んだ。ラッキーだった。東京タワーの下で頭を上げてみると、その壮麗さに魅了されずにはいられない。それに対して、スカイツリーは壮麗さが特色というより、むしろその精緻さが魅力のあるところだと思う。その後、浅草にも行った。歴史のある物事に興味があるから、浅草寺を見に行かないと、きっと一つの遺憾になるだろう。なぜ歴史物に特別な感情を抱いているかというと、中には歴史の要素が凝っている。それはどう模倣されても、超えられるはずがない存在だから、その独特さが私を引いている。浅草寺の雷門に着いてから、一種の厳かな雰囲気が漂っている。寺としては、神様を祭るところなので、神聖不可侵な場所である。しかし、一口寺と言っても、中国と日本の寺は人に与える感じが何か違っている。自分自身も適切に表現がたいが、心を動かすほどの力を持つのは確かなことである。ついでに、友達のお土産をも買った。大したものでなくても、日本ならではの物だから、好きなはずだ。

 続いて、化粧品を買うために、新宿へ出発した。留学生がそばにいて、いろいろな参考意見を与えてくれて本当に良かった。夕食はすき焼き、しゃぶしゃぶであった。中国の鍋料理に似ているから、懐かしい味がした。特にしゃぶしゃぶは、昼食のお好み焼きやもんじゃより、もっと私の食欲をそそった。

 今日は忙しい一日であったが、楽しい一日でもあった。お土産もいっぱい買った。中国人といったら、親戚や友達が大勢いるから、プレゼントを買うのは大変なことになる。面倒くさいと思われるかもしれないが、それなりの意味があると思う。人間というものは、もともと社会動物で、社会における交際のネットワークを通じて、共存を求めている。「人」という文字自身も、左払いと右払いがお互いに支えてから成立できるのからみれば、お互いの支えは人間にとっていかなる大事なことかも分かるだろう。「痛みながら喜んでいる」という一言でまとめると、最も相応しいと思う。

 

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 朝、部屋を出て、顔を洗いに行くつもりで、廊下を通り過ぎた時、向こうから来た女の子に「おはようございます」と挨拶された。「あれ、知り合いでしょうか」と思って挨拶したが、後で考えると、知り合いでなくて、こちらで合宿している日本の高校生である。その時、私に与えたショックが本当に大きかった。中国で挨拶する習慣があっても、知り合いやサービス業の従業員に限られる。それに対して、挨拶がすでに日本人の日常生活における一種の習慣になるのは、その国国民素養のレベルをよく表している。

 1020分、黒竜江大学留学したことのある衆議院議員菊田先生の事務室で彼女を待った。女性として、このような高い地位に至るのは、いかなる苦労をかけるのか、私には到底想像できないが、日本の女性としても、選べる道は家庭主婦にしかならないのではないことがよく分かった。やりたいことを最後まで頑張れると、期待する結果が出なくても、後悔などはしないだろう。結局、病院で診察を受けていた先生に会うことができなくて、残念でならなかったが、自分自身を励ます一種の向上力を得たから、感謝したかった。

続いて、元駐華大使の丹羽先生に会った。気軽な雰囲気のおかげで、私の緊張感も緩められた。談話中、日本語を学んでいる中国の若者たちを宝物として大切にしたいという先生の気持ちに深い感動を覚えた。そして、中国人の日本語作文コンクールの宣伝を協力するために、私を連れてテレビに出てもよいと言った時、びっくりした。中国の政治家と違い、日本の先生たちはある物事を手伝うつもりであれば、きっとできる限りの力を出して協力する。それは決して形式的な承諾ではなく、誠心誠意に果たすのである。別れた時、先生からチョコレートとトマトジュースをもらった。ただの学生であるのに、ここまで優遇されたなんて、意外であった。

 1230分、もう一人の元大使宮本先生を会いに行き、御馳走になった。私の出身は貴州省で辛い物が好きだと知った後、わざわざサービス・ガールを呼んでチリパウダーをもたらさせたから、細かいところまでよく気が付いた人だと思う。そして、先生の身に付けた知識の広さに頭を下げた。特に毛沢東の著作に独特な見解や深い造詣を持っていることは、中国人の私たちに恥じ入らせた。日本と中国の先生が私に与えた感じを述べた後、「日本は人々が平等である」という一言に深い印象が残った。両国の国情によって、違う政治の管理方式を採用するのは仕方がないかもしれないが、高位にいても、「人々は平等である」という観念が心の中に根差し、何の特権意識を持たないのは、決して容易なことではないと思う。 

 今日会った二人の元大使は積極的に中日関係の回復を推進する人である。そして、中国へ留学した経験を持ち、中国人をびっくりさせるほど中国のことをよく知っている人でもある。日本の先生たちは熱心に中国人と接触したり、中国のことをよく勉強したりするのに対して、中国の先生たちはどうするのであろう。小学生でも、国会の前に写真を撮り、中に入ることさえ許されるのを見れば分かるだろう。それこそ、本物のオープンで民主な政治である。

 

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 今日のスケジュールは二人の元首相に会うので、朝早くから部屋を出た。約束の時間より少し早かったから、休むところを探したために、岩楯さんと一緒に別のホテルに泊まった。10時になったら、元首相鳩山先生の事務室に向かった。先生と会い、作文集を送ってから、私の目の前で書いた作文を読んでくれたことに感動した。先生の中日若者間草の根の交流を重視している姿は、きっと日本語を学んでいる、日本のことに興味が深い中国の学生を支える力になれる。現在の冷え込んだ中日関係もそのようなプラスなエネルギーが必要だと思う。その後、中国人日本語作文コンクールの特別顧問に頼まれた時、「私でよければ」という一言は、私たちを感動させた。首相になったこともある人であるのに、そんなに謙遜な人とは想像しがたいのだ。最後、自分の書いた、絶版となった本をプレゼントとして送ってくれた瞬間、私は言葉で表現できないほど嬉しくてたまらなかった。

 12時、すでにドン・キホーテの本社にいた。前の緊張でどきどきしている心はようやく穏やかになった。作文コンクールを支持しているので、日本語を学んでいる人々に、自分の能力を展示する一つの舞台を作ってくる。そして、留学生への資金支援もしているので、留学したい学生の夢に願が叶える翼をつけておく。それは人の未来を導く影響もある事業である。

 午後230分、元首相福田先生に会う時間であった。同じ元首相だといっても、なんか人に与える感じが違う。鳩山先生は活力家で迫力に満ちる人だというと、福田先生は落ち着く親和力が強い人である。談話も日常生活っぽい感じがした。地位が高ければ高いほど、もっと親切で威張らないで、人の言いたいことを最後まで傾聴する。地位が低くても、まずは自分と平等な人間として扱うような、人への尊重、人の尊厳を守る心が日本の先生たちの最も貴重な品格だと思う。人間同士は、相互の尊重を基礎に信頼関係を築き、信頼で結ばれてから、社会を作る。それで、人への尊重は社会の礎石だと言っても過言ではない。それに、どんな地位にいても、平等に扱われること自身も、民主政治レベルの高低を示している。様々な先生に会った後、そういう感じがますます強くなった。

 330分、霞山会のビルに着いた。常務の星さんは非常にユーモアな人である。私たちは中国の客だから、中国式で接待しようと言った。その後、夕食も御馳走になった。昔、テキストから日本人の集団意識が強くて、内と外がはっきりと分けているのを学んだから、自分はまるで一員のように扱われたことに、心を込めて感謝したかった。特に食事中、星さんは中国語で私の日本語作文を訳したままに述べたのは、深い感動を与えた。一つは、星さんの中国語を自由に駆使できる高い語学力のためである。もう一つは、学生の書いた作文をまじめに読んで、伝えたいことを心で細かく味わうためである。その時、両国の交流は政治と経済の交流のみならず、一般民衆の交流をも大切にすべきだと痛感した。民間草の根の交流こそ、普通生活に染み込んで、人々の観念の中に根差す力を持てるのである。

 

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 今日午前、自民党の副総裁である高村先生に会った。先生の話によると、現在中日両国のリーダーも関係の改善を目指しているが、党内の闘争があるせいで、闘争を勝つために、ほかの競争相手と違う声が要るので、その局面になってしまった。両国の関係は、国の利益や戦略計画などいろいろな要素を考えなければならない。その上に、国のリーダーとなる人も、自分の政党とほかの政党や両国政党間のバランスを保つ道を見つけなければならない。それで、両国の関係は、そのまま左右されても仕方がない。しかし、長い時間を経ても、変わらない唯一な真理は、両国のリーダーも一般国民も平和な共存を祈っていることである。

 夜、6時40分岩楯さんと瀬野先生に会った。今夜は、瀬野先生の家にホームステーを体験する予定であった。ホームステーと言ったら、全然体験したことがないので、多少不安があった。しかし、先生に会った後、その不安がだんだんなくなった。中国へ留学した経験を持ち、20年以上も中国にいたことがあるから、先生の中国語はペラペラである。私と中国語で話すのも全然問題がない。その後、先生の長男と嫁さん、娘と彼女の婚約者と、家族会合の形式で一緒に夕食を食べた。嫁さんも娘さんもやさしい人で私を寂しくないように話しかけたり、料理を挟んでくれたりした。本当に家族のような温かさを感じた。食後、先生とお姉さんと家に帰った。ドアを開けて、玄関に上げてから、日本式の家屋が目の前に現れた。お風呂に入った後、今日一日の疲れも癒されて、緩やかな気分になったから、日本人はお風呂が好きな理由もやっと分かった。

 

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 いよいよ帰国の日になった。朝、目が覚めると、気持ちが落ち込んでいる。午後、空港に行く時間までまだ余裕があるから、昨日の計画通り、海を見に行った。その前、まずは豊かな料理を食べた。記念写真を撮ってから、先生の家を出た。目が回るほどの線を乗り換えた後、やっと海を見た。東京湾の一部分でも、海に繋がっていると先生が言った。なるほどと思いながら、太陽の光を移しきらきらしている波面の美しさに引かれた。なんだか先までの苛立った心も、波紋が広がっていくように、憂いが薄まって、落ち着くようになった。景色の移ろいに伴って、人間の心境も変わっていくのをしみじみと感じた。後で、旅の記念で自分にセーターを買いたい時、先生が先に買って、プレゼントとして送ってくれた。「このセーターを着るたびに、私と家族のことを思い出すだろう」という先生の一言で、名残惜しい気持ちが胸に溢れて、言いたいことさえ口に出す勇気を失ってしまった。

 午後約束の時間通り池袋のホテルに着いた。岩楯さん、瀬野先生、張先生は、私と段先生を見送った。人の一生において、様々な人と出会った以上、どれほど別れを告げたくなくても、避けられない事実を受けなければならない。昔から、そういうことが分かった。だから、自分のできることは、泣き出す衝動を抑えて、他人に迷惑をかけないように笑顔を残している。「さようなら」しか言わなかった口べたな私を許してください。「今日の短い別れは、明日の美しい再会のためである」と固く信じているからだ。

 今度一週間の旅において、私に与えた美しい思い出は一生の宝物にもなる。中では、二つのことに深い印象が残った。一つは、日本の整然たる秩序である。駅、デパートのエレベーターや階段に乗る時、人は左側に立って、右側を急用がある人に空けている。公共の場所で、荷物を忘れても、取りに戻ると、元の場所で置いたままである。自分の所有物にして持っていく人がいないとは言えないが、決して多くはない。もう一つは、自分の目で見たり、身をもって試したりしないと、発言権もないことである。人間というものは、おかしい生物である。一人が誤った考えを持つと、ミスと見なされるが、十人、百人、千人もその考えを持つと、元の正しい信仰も影響される。そして、信じる人数が多くなければなるほど、真理に近づくと思われる。最後、誤りも一つの真理になってしまう。その循環往復に陥ったら、真理を掌握している人数がかえって少なくなるのは、嘆かわしいことではないだろうか。今の中日両国民はマスコミの一方的な報道を信じて、偏狭なナショナリズムで理性を失って、過激な行動でお互いに傷つけている。直接の接触もないのに、観念中すでに醜悪化されている相手と戦うのは、ばかばかしくないか。まずは、先入観を除き、触れ合ってから結論を出すべきである。

 

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 今日は現任の駐華大使である木寺先生に会った。朝、9時ごろ日本大使館に着いた。なんだか懐かしい感じが湧き出た。昨年12月の受賞式が終わってから、1か月も経ていないのに、長い年月がたつような感じであった。915分、大使との会見が始まった。相変わらず、優しくて親しやすい人である。第九回作文コンクールは「感動」というテーマを知った後、自分の中国で受けた感動も述べた。大使のお母さんは大連で生まれ育ち、大連で青少年の時代を暮した。後で帰国したが、ずっと幼時の友達を覚えている。それで、年を取っても大連に戻って、友達を探してみた。様々な人の協力のもとで、ようやく一人の友達と会えた。それに、相手もちゃんと大使のお母さんを覚えている。

 人間の感情は脆いものである一方、切っても切れない絆で結ばれた固いものである。日常生活の中で少しずつ積み重なるので、時間が流れても、崩しがたいのだ。今回の旅もそうである。おかげで、いろいろな人と出会えて、美しい思い出が作られた。しかし、人の前にひけらかすつもりはない。沈殿する過程を経った物のみ、ますます輝いていく。それらの凝縮された思い出も心の片隅に埋めた方がいいと思う。暇がある時、取り出すと、きっと口元に幸せな微笑みも浮かんでいるだろう。