あのころの日本と中国
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あのころの日本と中国
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【内容紹介】
歳月は慌ただしいままに過ぎ去り、往時は夢の如くである。中日両国で記者を交換するようになってから、瞬く間に四十年という月日が流れ、『北京日報』の特派員として日本に滞在していた日々は、既に三十五年前のこととなった。
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三十五年前、まだ三十歳にもならない弱輩者であった私は、大学の門を出て外交部(外務省)に入り、四年目になったばかりで記者として日本へ赴任した。これは特別な時代の、特別な計らいであった。もし中国に文革という内乱が起こらなかったなら、そして中日両国の国交があったなら、一人の外交官が記者として日本へ赴くということはあり得なかった。しかし一九六九年、私は日本の国土に歩を刻み、一九七三年その記者としての生活を終えた。ちょうどその時期は戦後中日関係が敵対から友好へと大転換を遂げた時代であり、国交正常化が実現し、中日関係史上新たな一ページを開いた時期であった。その時期に、外交部と新華社が派遣した記者として、一身に二つの重大な任務を負うことになった。この意味では、特殊な時代に特殊な仕事を担ったことになる。
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六〇年代末から七〇年代の初めにかけては、時の話題となるニュースや外交課題が集中的に現れ、一人の新聞記者として、また外交官としても千載一遇の光り輝く時代であった。一記者として、話題沸騰の特別な時代に取材活動を行えたことは、願ってもないことであり、一人の外交官としても、中日関係の大転換点ともなる大きな飛躍を遂げた時代に、第一線に立ってその情勢をつぶさに観察し、動向を把握し、さらには中日国交正常化の過程に身を置くことができたのは、この上もない幸せであった。 ―「前書き」より抜粋
【目次】
北京から東京へ
恵比寿の「大家族」
仕事に邁進する
文革の烙印/取材妨害事件
名古屋での卓球選手権大会前後
国連総会の取材/保利茂氏との密会
中曽根氏への伝言
忘れがたき松村謙三氏
「王国権旋風」顛末記
周総理の接見
「佐藤政権後」の政局を注視する
田中首相訪中の応接
私の知る高碕達之助氏
高度な政治的決断:戦争賠償の放棄
【著者紹介】
王泰平 1941年 中国遼寧省東港市生まれ。外交学院、北京外国語大学卒。中国外交部事務官、「北京日報」駐日本特派員、国際問題専門誌「世界知識」副編集長、国際問題総合誌「世界博覧」編集長、駐日本大使館政務参事官、外交部政策研究室(局)次長、駐札幌中国総領事、駐福岡中国総領事、駐大阪中国総領事(大使級)など歴任。2003年12月から財団法人日中友好会館中国代表常任理事。著書『大河奔流』、ほか多数。
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