第一回「忘れられない中国滞在エピソード」一等賞受賞作

 

具だくさん餃子の味

三本 美和

 

 

表彰式で受賞作を紹介する三本さんby段躍中

 

 

私は、20169月から、2017年の7月まで上海に留学していた。(この文章を書いているのは、帰国まであと2週間の時)留学も終わりを迎えるのでこの機会に、自分の留学生活を振り返ってみようと思う。

 

来たばかりのころは、本当に何も話せなかったのを覚えている。何故そんなことを記憶しているかというと、到着した日に空港で事件が起きたからだ。一人で空港に着いた私は、20sあるスーツケースとこれまた20s近くあるバックパックを背負い、「荷物を誰かに盗られないだろうか」と、周りを警戒しながら歩いていた。トイレを済ませ、リニアモーターカーの座席やっとの思いでたどり着き、「さて学校は何駅だっけ」と確認しようとしたその時、カバンをトイレにかけて忘れてきてしまったことに気づいた。「終わった。」その中には、入学に必要な書類やカメラなど、大切なものがたくさん入っていた。戻って探し始めたが、トイレの場所を覚えていない。涙が出てくる。見かねた中国人が、何とか私を助けようとするが、“どんな”カバンだとか、中に“ファイル”が入っているだとか、言いたい単語が私の頭の中には全く入っていなかった。号泣しながら、空港を走り回ったあの時の不甲斐なさは、今思い返せば絶対国語を習得してやるという思いに繋がったかもしれない。結局トイレ清掃のおばさんが、落とし物センターに届けてくれていて、私は、初日にして中国人の優しさに触れることができた。

 

留学を初めて、3か月ほど経ち生活にも慣れてきたころに、感じたことがあった。それは、「意外と中国人と関わる機会が少ない」ということだ。私が留学したのは、大都市上海。授業は語学学校なので、クラスには留学生しかおらず、放課後も留学生とご飯に行くか、部屋で勉強するというような生活を送っていた。日本で留学を夢見ていた頃の私は、留学とは現地の人の生活に入ることだと考えていた。夢と現実とのギャップに、何か違うという感覚に日々悩んでいた。そこで、同じように考えていた日本人留学生のハルと、「もっとワクワクすることをやりたい」をテーマに中国人と関われるよう何度も作戦を練った。食べ物が好きだから食べ物に関することにしよう、中国人の家に行って家庭を見てみたい、お願いをするだけではなく私たちも日本の文化を伝えたいなど、自分たちの夢を詰め込んだ計画ができた。

 

ひねり出したのは、「ヒッチクック」。公園に行って、ヒッチハイクのように、画用紙に「餃子を作りたい」と書いて、自宅にお邪魔させていただき、一緒に料理をしようというものだった。

 

考えたは良いものの、公園に行くと緊張した。まず、私のミスでペンを忘れてしまい、字が書けないという状況に。「すみません。ペンを貸していただけませんか。」勇気を振り絞って声をかけると、中国人ママは快くペンをくれ、「頑張ってね」と応援してくれた。もらったペンで、できる限り大きな字で「想包子(餃子をつくりたい)」と書いた。人通りの多い道で、通り過ぎていく人たちに笑いかける。たくさんの人に見られ、そのたびに趣旨を説明した。多くの人に興味は持ってもらえるが、笑って通り過ぎてくばかりだった。始めて一時間もたたない頃、一人の女性が、私たちの事をじっと見つめてきた(というより、睨んでいる?)。どうやら興味を持ってもらえたらしい。すかさず、「あなたの家に行って、餃子のつくり方を教えて欲しい。中国人の生活を体験したい。もちもちの餃子を食べたい。おねがいします。」と頼み込んだ。渋る彼女VS熱意有り余る私たち。「ここから家まで一時間かかるよ」「全然問題ない、行きたい」「わたしそんな餃子作るの上手くないよ」「大丈夫、きっとおいしいよ」ついに、彼女から許可が下りた。ごめんね、強引で。

 

彼女の家は、上海の郊外にあった。彼女とその家族は私たちを、スーパーに連れて行ってくれ、餃子づくりは材料を買うところから始まった。日本には無い大きな野菜や、まだ姿形の分かるような豚肉、生きたまま売っているエビなどに驚く私たち。そんな私たちを不思議そうに見つめる家族。車の中やスーパーで、彼女たちと何気ない学校や友達などの話をしている時は、本当に彼女たちと家族になったような温かい気分になった。

 

家に着くと、餃子のつくり方を丁寧に教えてくれた。生きたエビを「これは新鮮でおいしいのよ。餃子に歯ごたえが出るの。」と言って、包丁でザクザク刻む。たくさんある材料を一つひとつ教えてくれた。餃子を包み方は、日本の餃子とは少し違う。見た目は単純そうだがやってみると意外と難しく、形がなかなか整わない。しかし、彼女はマジックかのような手際の良さで気づいたら、56個作り終えている。さすが、中国を代表する国民的料理。だれださっき「わたし餃子作るの上手くない」っていったのは。上手すぎるよ。

 

100個くらいは作っただろうか。彼女が分かりやすく教えてくれたこともあって、最後にはうまく餃子を包めるようになってきた。作り終えて、餃子を煮ている間に、炊いてもらったお米で、私たちはおにぎりを作った。(本当は味噌汁を作りたかったが、スーパーに味噌が無かったので、売っているものから作れるものを考えた結果)シーチキンの缶詰にマヨネーズをかけて、のりを巻いた。その日一日の感謝の気持ちを込めて、一生懸命握った。

 

餃子は最高においしかった。彼女の言う通り、具の触感が良い。皮ももちもちで、箸が止まらないおいしさである。何よりも、一緒に作った餃子を食べていると実感すると幸せでたまらなかった。ずっと笑顔があふれる食卓だった。おにぎりも喜んでもらえて、彼女はしきりに写真を撮っていた。

 

帰り際に、彼女はこう語ってくれた。その言葉は今でも鮮明に覚えている。「これまで日本に対する印象は正直あまりよくなかった。今日あなたたちを最初に見た時中国人だと思っていた。後で話を聞くとあなたたちが日本人だと分かって、少し怖い顔をしてしまったかもしれない。私はね、南京大虐殺や戦争の歴史を知っていて、その様子は、日本人が中国人を残酷に殺したりしていて、ひどかった。だから、今まで日本人の事を好きにはなれなかったし、日本のものも買おうと思わなかった。でも今日あなたたちに出会って、あなたたちは私の考えを完全に変えてくれた。私は中国人でもちろん中国のことを愛しているし、日本人も同じだと思う。でも、お互いに恨みあうのは悲しいことなんだって今日気づけたよ。お互いに歩み寄れたらいいよね。また、うちにおいで。いつでも歓迎するよ。」私は、彼女の言葉を聞きながら、涙が出そうになった。まさか、こんな素敵な事を言われるなんて想像していなかった。私たちの何が、彼女の考えを変えたのは分からなかったが、とにかく嬉しかった。私たちが彼女とその家族といる時間を幸せだと感じたのと同じように、彼女もそんな風に思ってくれたのかもしれない。

 

彼女とその家族との一日は私にとって大切な日になった。感謝してもしきれない。彼女は、私たちが彼女の考えを変えるきっかけとなったといったが、彼女こそ私たちの考えを変えるきっかけとなった。

 

色んな思いが詰まったあの餃子は、幸せの味だった。あの味を私は忘れることは無いだろう。

 

 

略歴、東京学芸大学在学。教育学部。留学中は上海にある華東師範大学に半年は語学生、半年は本科性として学んだ。大学生活で、中国人と関りが多かったことをきっかけに中国留学を決意。旅行が好きで、中国国内の色々な地域に行った。

 

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