第一回「忘れられない中国滞在エピソード」一等賞受賞作

 

「イーファンと私」

中関 令美

 

 

表彰式で受賞作を紹介する中関さんby段躍中

 

 

「南京に行ってくる。」この私の一言が祖父母をいつも以上に心配性にさせた。「南京なんか行くのやめなさい。危ないわよ!」飛行機のキャンセルを促す祖母。「日本人が南京に行くなんて...」言葉に詰まる祖父。「大丈夫だよ!心配しないで。」そう言って祖父母からの反対を押し切って私は南京旅行を決意した。私だって、南京大虐殺のことはもちろん知っていた。心の底で、日本人の私が訪れていいのか、南京の人々にどう思われるのか、と少し不安に思っていたことは否定しない。しかし、大学で仲良くなった南京出身の親友に「南京に遊びにきてよ!いつでも歓迎よ!」と言われ、「親友の故郷に行ってみたい!」という一心で南京旅行を決めた。

 

南京の空港での入国審査。あまり意識はしてなくても、なんとなくパスポートは大きく書かれたJAPANの文字が書かれている表紙を裏にして提出した。職員はそんなことを気にするわけもなく、すんなりとひっくり返し、空いているページにスタンプをドン、と押した。こうして私は正式に南京に到着したのである。

 

空港を出たら親友が笑顔で待っていた。「イーファン!」大声で彼女の名前を呼び、飛び上がりながらハグをした。「 迎!」緊張感は一気に吹っ飛んだ。楽しい南京旅行の始まりだ!

 

空港から彼女の家に行くためにタクシーに乗った。英語と中国語、両方で会話する私たちをルームミラーでチラッとみた運転手さん。「どこから来たの?」フレンドリーに彼は聞いた。どうしよう。日本って言っていいかな?韓国って言った方がいいかな。いきなりの質問に私の頭の中は少しパニックだった。でも、イーファンは笑顔で「彼女は日本から来たのよ!私の親友!」こう答えてくれた。「日本か!日本は美味しいラーメンもあるし、全てが綺麗で快適な国だ!この間大阪に行って来てさ~」運転手さんは嬉しそうに日本の思い出を語ってくれた。

 

夜ご飯は行ってみたかった火鍋のお店に連れていってもらった。イーファンの行きつけのお店だ。扉を開けると、少し怖そうな背の高いお兄さんが待ってった。「外国からのお客さんだってな。ようこそ!」低めの声でしっかりと挨拶をしてくれたお兄さん。上の階の一番大きな個室に案内してくれた。メニューを渡しながら、私に尋ねた。「どちらからいらっしゃったの?」またこの質問か。どうしよう。勇気を絞って言ってみた。「我是日本人。」お兄さんの反応が怖かった。でも今まで少し怖そうだった彼は笑顔で、「おー、このお店にも日本人がよく来るんだよ!いつも美味しいって言って帰って行ってくれるんだ!ほら、たくさん食べて行ってね!」私は嬉しかった。そしてホッとした。日本が好きな南京の人々がいるんだ。日本人だと言っても嫌な顔一つされない。よかった、よかった。

 

しかし、南京旅行は楽しいことばかりではなかった。最終日、どうしても行きたかった南京大虐殺記念館に行くことになった。「南京のどこに一番行きたい?」とイーファンは初日の夜、私に聞いてくれた。少し間を置いて絞り出した答えは「南京大虐殺記念館。」イーファンは少し戸惑ってしまった。きっと日本人の私を気まずくさせてしまうのでは、と心配したのだろう。でも私は行きたかった。南京大虐殺については中学校の歴史の教科書で数行読んだだけだった。当時の南京についてのことはあまり詳しく書いていなかったし、被害者の証言も聞いたことがない。中国語を学び、中国人の親友をもつ私は、「もっと知りたい」という気持ちが強かった。「南京大虐殺についてもっと知りたいの。」素直に思いを伝えた。「そっか、いいよ!」イーファンは笑顔で承諾してくれた。

 

ギラギラの太陽。シーンとした空気。ついに記念館にたどり着いた。入り口にたどり着くまでに並ぶ数々の像。死んだ母親にしがみつく子供。撃たれて横たわっている夫の横で途方にくれる女の人。妻が連れてかれるのを阻止しようと一生懸命手を伸ばしている男の人。5分前まで、くだらない話でゲラゲラ笑っていた私たちは無言になり、イーファンは呟いた。「当時の日本軍はひどいわ。」彼女の言葉は私の心の奥底にズキンと刺さった。何も返す言葉がない。ただ無言のまま、入り口に向かった。大都市の南京。いつもは車のクラクションやバイクのエンジンの音が響き渡る。でもなぜか、あの時は何も聞こえなかった。蝉の鳴き声だけが聞こえる。妙な静けさだ。

 

記念館は暗かった。黒い天井に黒い壁。その中に浮かび上がる犠牲者の写真。壁いっぱいの写真は日本人の私を睨みつけているように感じた。一人ずつゆっくりと読み上げられる犠牲者の名前。寒気がした。そして震えが止まらなくなった。私の異変に気づいたイーファンは「出口に向かってもいいわよ。」と気遣ってくれた。でも、私は頭を横に振って、「大丈夫。」と返し、さらに奥へと進んだ。

 

ガラスの下には大量の骨。人間の形をしているものもある。直立不動のもの。もがき苦しんでいるようなもの。助けを求めていたのか。手を伸ばしているもの。ため息も言葉も出ない。「日本の軍はたくさんの南京の人々を殺したのよ。」隣には母親が幼い子供に大虐殺のことを説明していた。ここにいてはいけない。私が日本人ってバレたら... 速やかに次の部屋に進んだ。

 

記念館を出るまでイーファンはほとんど無言で私について来てくれた。私も何も話せず、表情もほとんど変えず記念館を回った。そして、外に出たら平和の像が私たちを迎えてくれて、見上げる私に向かってイーファンはこう笑顔で言った。「お腹空いたね!」「え?」そして私の手を握ってこう言ってくれた。「歴史は変えられない。あの大虐殺が起こったことはもう変えられないわ。でも私たちは国籍は違ってもずっと友達だから!」今まで堪えていた涙が溢れ出した。「ありがとう。」

 

南京はモダンなビルと伝統的な建物で溢れる、賑やかで静かな、色々な魅力をもった街だった。この土地で大虐殺が起こったなんて、想像できないし、信じたくない。でも、イーファンが言っていた通り、「歴史は変えられない。」1937年に時間を戻すことはできない。でも私は思う。私たちは歴史から学べる。平和の尊さを。お互いを恨み、敵対心を持ち続けるのではなく、歴史から学び、平和の大切さを心から感じることが大事なのではないか。南京旅行が私にこのことを教えてくれた。

 

記念館を出た私たちは笑顔で手を取り合い、またくだらないことを話しては笑い、話しては笑い、を繰り返してお昼ご飯を食べに行った。小さな絆から大きな絆は生まれる。日本人の私と中国人のイーファンのような小さな友情がたくさん集まることで、日本と中国はさらなる友好関係を築けるのではないか。空港でイーファンとさようならをした後、私には新たな夢ができた。それは、将来、日本と中国を繋ぐ存在になること。南京での思い出を胸に、私は明日も夢に向かって歩み続ける。

 

 

略歴

1997年東京都で生まれる。幼い頃から高校生まで父の仕事の関係でアメリカ・ニューヨーク州で育つ。高校では、フランス語と中国語を学び始め、将来は世界を舞台に活躍したいという夢をもち始める。卒業後は慶應義塾大学経済学部とパリ政治学院のダブルディグリープログラムに入学。趣味は語学の勉強、ヴァイオリンを演奏することと旅行をすること。中華料理を作るのも好きで、最近は小籠包作りの研究に励んでいる。

 

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